「僕」から

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081224/1230144140へ「自立した個人を目指すことを勧める著者が自分のことを「僕(しもべ)」と自称するのはこの本の根本の問題点を現しているという気がしますね」というコメントをいただく。
たしかに、自分で「僕」というのは好きじゃない。ただ、「僕」と自称する人というのは「しもべ」というそもそもの意味を意識しているのだろうか。ぼくとかボクというふうに仮名書きされることも多いし。また、「僕」というのは二人称のとセットになっていた筈だが、相手を上に置くという意味でのは(二人称がお前にしても貴様にしても、使われていくうちに段々と価値が下落していくという日本語の特質のおかげで)殆ど使われてはいないし。
一人称、二人称については、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070127/1169910382とかhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080408/1207644864とかでも無駄口を叩いたのだが、ちょっと気になったこと。大人が子どもに向かって、


ボクおいくちゅなの?


ということはできる。しかし、


私おいくちゅなの?


とか


俺おいくちゅなの?


とはいえないと思う。
以前は「僕」が好きじゃないのは「加山雄三があまり好きじゃないから」だとか言っていたが、こういう一人称と二人称の癒着、それも大人が子どもの目線に立ったふりをして子どもを丸め込み支配するということと濃厚に関係しているからだとも言っておこう。