http://www.ad-c.or.jp/campaign/self_all/04/index.html
公共広告機構のキャンペーン。「テーマ:モラル「命の重み・人間性の尊重」」と銘打って、
そして、ナレーションが
ほんの些細なことで落ち込み、自殺に走る若者や子どもたちが増えています。そんな彼らに、人間がポジティブに生きていくことの意味をメッセージし、「生きている証(あかし)」を感じてほしいと願う企画です。
このナレーションがキモいのは、その二人称性にあるだろう。ナレーションの宛先に向けて、その内的な経験を外から意味賦与して強制しようとする。或いは、意味の賦与が同時に意味の簒奪でもありうることに気づかない(ふりをしている)こと。
くじけそうなのは、あなたが進んでいる証。しかられたのは、あなたが愛されている証。
つらいのは、あなたがあきらめていない証。
「生きている」という証を、感じてほしい。
かつてのTVドラマ『木枯し紋次郎』の主題歌「だれかが風の中で」(和田夏十作詞)の一節――「痛いのは生きている証拠だ」。似ているようで違うのは、こちらの方は一人称的な叫びとして歌われているということだろう。
いや、必要なのは本源的な肯定を示すこと、すなわち珈琲と煙草*1だろう。