「これは初歩的な一歩にすぎず、「在日」が「韓国・朝鮮系」になったとしても、また新たな問題は出てくることになるのだろう」と書いたのだが*1、これに関連して。
阿部純一郎「市民権の空洞化と〈同化〉論争――国民の境界をめぐるダイナミクス――」『コロキウム』2、pp.144-162、2006
21世紀に入ってから、英国の移民「統合政策における多文化主義から同化主義への強調点の移動が確認される」(p.144)。例えば、移民の「帰化」においても、「英国の自由・民主主義・法秩序・市民の義務・女王への忠誠を誓わせる」こと、また「国家が(例えば書類偽造者・情報隠蔽者・テロ首謀者から)市民権を剥奪する権限を強化する」ことが内務省(Home Office)の報告書において提案されている(p.145)。これは英国に限ったことではなく、他の諸国でも「国籍法や統合政策をめぐる言説」に「同化主義」への回帰が見られる(ibid.)。曰く、
このグローバルな傾向は、近年の国際移民研究の分野で「市民権の脱神聖化」と呼ばれている現象に関連している。いわばそれは市民権の価値低下および脱国民化が進行し、市民の国民的帰属が不鮮明になりつつある時代のある種の代償行為でもある。(ibid.)
「脱神聖化」論争の「2つの争点」。
市民権(citizenship)と国民的帰属(national belonging)という二種類のメンバーシップを同一視するような見方が相対化されつつある。「国民=国家」という用語法が暗示している、法的・政治的なメンバーシップとエスノ文化的なメンバーシップとの間の対応関係は、長い間われわれが近代国家について理解したり説明したりする際の基本的な前提であり続けてきた。しかしこの前提そのものを問い直そうとする動きが、近年の国際移民研究の領域で活発になってきている。それを端的に示しているのは、戦後の国際移民の増大との関連で論じられている市民権の「脱神聖化(desacralization)」をめぐる論争である(p.146)
1)「形式的シティズンシップと実質的シティズンシップとの間の連関についての問題」。例えば、「「国籍」は違えども「居住」という事実関係が考慮されて「市民」と同等の社会的および経済的権利、ひいては(地方)選挙権まで割り当てられている「デニズン」と呼ばれる人々の存在」。「長期居住者のホスト国家の市民権を取得する動機を奪い、形式的シティズンシップの価値低下を引き起こすと指摘されている」(ibid.)。
2)「形式的シティズンシップと国民的帰属とのあいだの連関についての問題」。「特に問題視されるのは、市民の間に二重国籍者が増えたり、あるいは帰化が単なる便宜上の手続きになるならば、忠誠の多元化や所属意識の低下がもたらされ、形式的シティズンシップの「脱国民化」が生じる可能性である」(p.147)。
Yasemin N. Soysalの論――「国際人権レジームの発達と連動」して、「シティズンシップの脱神聖化とメンバーシップの自然化*2という二重の過程」が生起してきた(ibid.)。
Rogers Brubakerの論――「1980年代フランスの国籍法改正をめぐる論争」。「真のフランス人」vs.「書類上のフランス人」という仕方で、「市民権と国民的帰属の乖離という事態が移民二世・三世を閉めだすための戦略として利用されてもいる」(pp.147-148)。
Soyal, Yasemin N. “Changing parameters of citizenship and claims-making: Organized Islam in European public spheres” Theory and Society, 26, 509-527, 1997
Soyal, Yasemin N. “Citizenship and Identity: Living in Diasporas in Post-war Europe?” Ethnic and Racial Studies, 23(1), pp.1-15, 2000Brubaker, Rogers Citizenship and Nationhood in France and Germany, Harvard University Press, 1992
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