「プー」、第一次大戦(メモ)

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081224/1230115391で言及した田中希生氏のテクスト*1では、フロイトの「戦争神経症」が触れられている。フロイトが第一に参照している「戦争」は第一次世界大戦である。
高山宏氏が「クリティックなんて「プー」! A・A・ミルン文学の「プー」ラドックス」(『ユリイカ』2004年1月号[特集*クマのプーさん]、pp.61-71)で、「クマのプーさん」における第一次大戦の影について書いているので、メモしておく;


第一次大戦だ。原子爆弾のこともあり、我々としては第二次大戦の方を重大視してしまうのは仕方ないにしろ、歴史をずっと古い方からたどってみるなら、その精神に与えたショックの軽重は断然、第一次大戦の方が大きいように思う。少しそのことから。
人類史が初めて経験する長距離砲による砲撃戦だった。見えぬ敵にいきなり殺される理不尽を初めて兵士たちは味う。対抗しうる方法は要するに塹壕に身をひそめることだけだった。この時、敵も味方もカーキ色の軍服を着る。砲弾の鉛の破片の山にしとしと降る雨。泥濘の中で腐っていく鉛の色、それがカーキ色に他ならず、兵士たちは是非ともその色と同化する必要があった。赤や青の名誉ある伝統的色合の服でちょろちょろすれば、敵の砲撃見張りの目につき、数分後にはひゅるひゅるという音より先に鉛の砲弾が必ず飛来したからだ。
(略)中流以上の名門校出の若者に誇り高い肉弾教育を施し続けた帝国の制度の犠牲者とはいうべし。ミルンも志願兵として、きっちり四年間、この史上最低の悪戦に参加。最たる悪戦だったソンムの戦いにはミルンの挿絵師になるE・H・シェパードが参加している。シェパードの実兄は開戦の初日に戦死している。
平和たるべきプーの森に繰り返し現われ、また狩りのために掘られもする幾多の穴に、ぼくなど歴史上稀にみる塹壕戦となった第一次大戦下の独仏の森の惨劇を重ねてしまう。レマルクの『西部戦線異常なし』(一九二九)の幕切れ――主人公が一匹の蝶をとろうと首を出したところを狙撃されてしまう――がプーのアルカディア然とした森に陰画として貼りついている。その西部戦線の一信号兵として地に匍匐していたのが誰あろう、A・A・ミルンなのだ。ちなみにウィニー・ザ・プーという一頭の熊もまた、殺された母熊のそばでちょろちょろしていたのを、運命の力で、ヨーロッパ戦場に向うカナダのある旅団の獣医将校の引きとるところとなって、大戦下のイギリスに来ていた。カナダのウィニペグにちなんで「ウィニー」と呼ばれたらしい。
史上最初の戦車が走り、毒ガス弾が炸裂した怪物じみた戦争を最も端的に象徴するのがコンバット・ファティーグ、戦場性精神病の代表格たるシェル・ショックだろう。クマのプー周辺の動物たちが交す間の抜けた言葉のチグハグを、キャロル的ノンセンスの傑作という人は多い。あるいは目下大評判の『ザ・ラスト・サムライ』のトム・クルーズが実はそうだというので、『窓ぎわのトットちゃん』の黒柳徹子さん以来、久方ぶりに話題になっている学習障害(LD)をそこに読みこもうとしている人がいても不思議はなかろう。が、ロバート・オーウェンやサスーンの身も心もぞっと粟をふくような塹壕詩篇を愛し、ロバート・グレイヴズの『白い女神』を愛するぼくは、ろれつも回らず、一寸ピントはずれで、考えと言うことの間がうまくつながらぬプーやコブタたちに、どうしてもシェル・ショックの影を認めてしまう。
シェル・ショック。至近に敵弾が着弾してしまう。閃光で目をやられ、轟音で耳をやられるのは序の口、今までアラン、ロバートと呼び合っていた戦友が今、細かい肉片と化して自分の服や皮膚にぺたぺたとくっ付いている。その時、多くの兵士が一瞬にしてキレる。復員兵の中には口を半開きにし、白目をむき、たらたらとよだれを垂らしているシェル・ショック「患者」がうじゃうじゃといた。(後略)(pp.63-64)
また、

少々露出狂じみているミルンがこの四年間のことだけは頑として想い出そうとしないことの意味は大きい。オーウェンのように洗浄に散華した者はいっそ、まだ幸せといえたたぐいの戦争だった。ロバート・グレイヴズなどはついに生涯、シェル・ショックから癒えなかった。(後略)(p.64)
第一次大戦については、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080209/1202575426でもちょろっと言及した。
「精神に与えたショックの軽重」については議論の余地もあろう。ただ、既に小田実*2(『「民」の論理、「軍」の論理』)も指摘していたが、第一次大戦では第二次大戦のような単純な〈勧善懲悪〉の物語が機能しなかったということが重要だろう。また、第二次大戦においては、空爆という戦術の一般化に伴って、高山氏が描いたような光景が銃後(民間人)にも拡大する。
「民」の論理,「軍」の論理 (1978年) (岩波新書)

「民」の論理,「軍」の論理 (1978年) (岩波新書)