風邪は美味しいか

何だか既に治まったようだが、先週は風邪気味だった。私だけでなく、家族や知人にも(JUJU女王様を初めとして)風邪を引いちゃったという人は少なくないようだ。
そこで、金井美恵子先生の「夏風邪は馬鹿がひく」(in 『目白雑録』)からちょっと長い抜き書き;


それにしても、夏風邪というのはいやなもので、やはり風邪は寒い時にひくべきものだろう。冬だったら、とりあえず風邪には様々な対応が用意されていて、そのなかでも基本的なのは、ひきはじめの時に、各種の体を温める飲物のメニューから好みの物を選んで、それを飲み、かつ各種のサプリメントを多目に飲んでフトンにもぐり、ぬくぬく休息しながら、肩の凝らない本を読む、というのが一番いいのだが、それでもこじらせてしまうことがあるのが風邪というもので、咳が二週間くらいおさまらず腹部の筋肉が痛くなっても、まあ、あきらめもするし、温かい飲み物のメニューの豊富さを楽しむ余裕も、ないわけではない。シンプルなくず湯もいいし、さらしネギをたっぷり入れたチキン・スープ(白くにごっている博多の水たきのスープ風がよろし)も、何種類かのスパイスとレモン果汁を入れたホット・ワインもおいしいし、どれにしようかてなもので、ラムとブランデーにレモン果汁と砂糖を入れて熱湯で割り、それにバターを落とす場合もある「グロッグ」というのもあるけれど、これはフローベールの『紋切型辞典』によれば「下品な飲み物」ということになっていたな、などと思い出すゆとりさえあるのだ(まあ、今も思い出しているわけだが)。なぜ、グロッグが下品な飲み物なのかは知らないが、『紋切型辞典』についてフローベールはルイーズ・コレあての手紙の中で、〈およそありうるすべての題目について、礼儀をわきまえた慇懃な人物となるために世間で口にしなければならぬすべての言葉をアルファベット順に網羅する〉ものであって、〈端から端まで僕が勝手に創作した言葉は一語といえどもあってはならず、いったんこれを読んだら、人はそのなかの文句がおのずと口に出るのを恐れるあまり、話をすることもできなくなる体のものにしなければなりません〉(山口欝*1訳)と書いているとおりで、『紋切型辞典』(と『ブヴァールとペキシェ』)を読んで以来、「グロッグ」と言えば「下品な飲み物」というのが、怖るべし、つい口にのぼってしまうのである。「ラム」というお酒は、もちろん上品なイメージがあるわけではないし、値段の安い駄菓子系洋菓子にマーガリンと一緒に使われていると、実に下品で粗野な感じがするものけれども、目白の洋酒屋にはボトル一本二万円のジャマイカラム酒が売っていて、これを飲めば、今までのラム酒観が一変することが確かなのでは? と思うけれど二万円でラムを買う気には、なれない、し、何年に撮られた映画だったのか調べるのが面倒なのだが、かれこれ四十年は前の『シベールの日曜日』(もちろん、フランス映画。ちょっとしたヒット作)で、みなし子の十二歳くらいの女の子と記憶喪失のパイロットだかの純粋な恋愛が周囲の下卑た大人たちに邪魔される悲劇で、その中に「グロッグ」を飲むシーンがあって、この映画のことを考えると「下品な飲み物」というのは確かにふさわしい、と思える、などと考えながら、冬だったら、ジョン・フォードの『太陽は光り輝く』をヴィデオで見ることを思いついたりもするだろうに、夏風邪の場合は、そもそも体を温める飲み物のことなどは考えたくもないし、エドワード・ヒックスにつづいて、一九五〇年代から今日にいたるまで、大胆なインスタレーションとエンヴァイラメント作品を作りつづけているアメリカのアーティスト、エドワード・キンホルツのことを書かなければならないのだ。(pp.184-186)
また、

夏風邪が不快なのは、自分の体が暑いのだか寒いのだかよくわからなくなることで、熱があるのか、それとも気温のせいで汗をかくのかなんだか判断がつかず、眼の億と頭が痛いのも寝ながら持ち重りのする画集を開いて辞書をひいたりしたりしたせいかもしれないし、咳が出るのは、人と会って話していて退屈のせいで煙草を吸いすぎたせいかもしれない、風邪ではないはずだ、と、つい思いたいところがあって、ついグズグズと急速しそびれてしまうかもしれない。そもそも、疲れやすく風邪をひきやすい体質だし、煙草はたくさん吸うから、姉も私も普段から健康用サプリメントを何種も飲んではいるのだが効果のほどは、「飲んでいなかったら、もっとひどいことになっていたかもしれない、と考えるべきなのだろう」という程度のもので、それのおかげで体の調子が好調になったという実感は一切ないのである。(p.187)
11月の風邪というのは勿論夏風邪ではないし、冬風邪であるともまだ(少なくとも温帯地方においては)いえない。そういう意味で、中途半端な風邪だということもできる。しかし、そのような中途半端な季節こそ風邪を引きやすいともいえるのだろう。
さて、「グロッグ」だが、私としてはラムやコニャックよりもウィスキーがお奨め。それもサントリー・オールドよりも格下の安いウィスキーがいいと思う。それから、檸檬をたっぷり入れることは言うまでもないが、砂糖よりは蜂蜜だな。
ところで、このエッセイの後の方では、坂村健村井純の「ユビキタス」に関する対談がぼこぼこにdisられている(p.190ff.)。村井曰く、

生活のあらゆるものがネットにつながると、いままで使えなかった情報を取り出して利用できます。たとえばおわんの中の食べ物の量や汁の温度などの情報を呼び出して、熱すぎないか、おかわりが必要かなどを知ることができる。様々なものから情報を受け取り、それをもてなしなどに結び付ける新しい利用法が可能になるわけです。(pp.191-192に引用)
そして、最後に金井先生曰く、

(前略)パソコンが話題になりはじめた当時、どこかのパソコン会社で、パーソナルな利用法のコンテストがあったのを思い出してしまう。現在は主婦兼評論家で元雑誌編集者の女性が、部屋の見取図を入力して、掃除すべき場所ごとにその必要回数や、いつ掃除をしたのかが画面上で一目でわかるようなシステムを作って入賞したのだが、私に言わせれば、どんな広いお屋敷にお住みか知りませんけれど、掃除すべきかどうかなんてことはその場で部屋の現実を見ればわかりますよ、やりたかあないけどね、である。まあ、彼女は今でもパソコンの画面で掃除すべき場所を確かめているのかもしれないし、お客でも呼んだら、「もてなしに結びつけて」、ユビキタス「おわん」を採用するかもしれない。(pp.192-193)
それで、この「現在は主婦兼評論家で元雑誌編集者の女性」って誰?
目白雑録 (朝日文庫 か 30-2)

目白雑録 (朝日文庫 か 30-2)

*1:実際は異体字