勒克莱斉奧在中国(メモ)

承前*1

夏楡「“我們的作家獲奨了”  勒克莱斉奧在中国」『南方週末』2008年10月16日


ル・クレジオは1993年に初めて中国(南京)を訪れ、今年1月に『烏拉尼亜(Ourania)』が「21世紀最佳外国小説奨」を受賞したために、北京でのその授賞式に出席した。また、中国大陸における最初の訳書は1983年の『沙漠的女児』(銭林森、許釣訳、湖南人民出版社)。
『戦争(La Guerre)』の訳者の一人であり、『文学・伝奇:法国現代経典作家與作品』の著者である袁篠一は、サルトルボーヴォワールカミュロラン・バルト、デュラス、サガンロブ=グリエミラン・クンデラという名前を並べて、「勒克莱斉奧是在中国知名度最低的一位」と述べている。
この号の『南方週末』では、ル・クレジオ関係の記事として、ほかに、


余中先「勒克莱斉奧主要作品」
夏楡、呉瑶「勒克莱斉奧:“法語也許是我的真正国度”」
張英「『法国文学無疑是第一流的』」*2
夏楡「読読他 再下結論」*3
「勒克莱斉奧注解勒克莱斉奧」(袁篠一訳)


を載せている。
また、


石剣峰「当庫存書套上諾貝爾的紅腰帯」『東方早報』2008年10月21日


「在中国知名度最低」ということだが、実際これまでル・クレジオは翻訳点数は多いものの、殆ど売れていなかった。現在書店には、「2008年諾貝爾文学奨獲得主勒克莱斉奧之力作」という腰巻のついた『戦争(La Guerre)』(訳林出版社)が並んでいるが、実は1998年に印刷された在庫品に急拵えで腰巻を巻いたもの。しかし、ノーベル賞とともに在庫は捌けてしまい、近々ノーベル賞記念ハード・カヴァー版を出すという。また、1998年に上海訳文出版社から出た『訴訟筆録』は6000部印刷したものの、3000部しか売れず、2006年に在庫は断裁され、再生紙になってしまったという。但し、今年出た『烏拉尼亜(Ourania)』は、初版8000部が完売し、既に15000部が増刷された。

*1:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081009/1223582292

*2:呉岳添へのインタヴュー。

*3:許釣へのインタヴュー。