若桑みどり*1「大学図書館に期待するもの−利用者の立場から理想の図書館を考える−」http://web.archive.org/web/20010514173426/http://www.ulis.ac.jp/library/Choken/2000/6_2.html
某所にて知る。
千葉大学在職時のもの。研究会のレジュメか。主に、中世修道院図書館以来の西洋のアカデミックな図書館の系譜について。
抜き書きすると、
たしかに、図書館で先生にばったりお目にかかるということはあまりない。
日本の特徴−教授は図書館で研究しない
西欧の特徴−教授は図書館にいる
学生は図書館で教授と自分が等しく研究者であることを認識
「蔵書の豊富と多様性以外に図書館の本質的価値基準はない」。そして、
マイナス例なので固有名詞はあげないが,きわめて多くの第一級図書館ではイメー
ジ資料,美術史関係資料が極端に少なく,文字・言語知識への偏重が健在である。
またいくつかの大学図書館でも事情は同じである。特に多くの大学,公共図書館に
不足しているのはジェンダー関係資料である。
「瞑想的生(Vita Contemplativa)」の環境
イタリアには図書館で生涯を送る人々がいる。それをリチェルカトーレ(探求者)と
いう。大学の教授か,退職した教師か,素人学者か,市民か,それは問題ではない。
図書館の原点である修道院,信心会図書館には「瞑想・沈思」の空間的環境がある。
疲労した研究者には花の咲き乱れる中庭と噴水,ベンチがある。
ヴァティカン図書館には目覚めるためのカフェ,喫煙所が設けられている。但し図書
を破壊しないためにそれは屋根の上の開放的空間におかれる。図書館が機能的利用期
間*2ではなく瞑想的生の空間であることは人々のなかで定着した観念である。複写不可,
枚数制限などの規制もそこから出ている。複写が「本来の」図書館を破壊すると考え
る図書館はまだ数多い。
*1:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20071007/1191749086
*2:変換ミス? 機関?