「非モテ」とジェンダー(メモ)

承前*1
既に今年の2月に書かれたものだが、「たんぽぽ」さん、「バレンタイン粉砕デモ」に触れて曰く、


非モテ」が、ほとんど例外なく男性なのは、
男の人は、他人のためにつくすのではなく、自分の人生を切り開くため、
主体的に生きられるという、社会通念があるからだと思います。
これは原則的に、「努力すればなんとかなる」という世界で、
あきらかに自分のせいでないことには、責任がおよばないものです。

こうしたカチカンや生きかたに慣れた、男の人たちは、
「他人の気持ち」のように、努力してもかなわないことが多く、
理不尽でも自分のせいとされることが、理解できないのだと思います。
それで、女性の気持ちが、自分の思い通りにならないことを、
あたかも、被害にあったかのように考えたり、
あるいは、他人や世の中に責任転嫁したりするのでしょう。
http://taraxacum.seesaa.net/article/84321293.html

この後で、小谷野敦氏が言及されているのだが、この件に関して小谷野氏のテクストを挙げるとしたら、『夏目漱石を江戸から読む』だろうか。
夏目漱石を江戸から読む―新しい女と古い男 (中公新書)

夏目漱石を江戸から読む―新しい女と古い男 (中公新書)

ところで、「バレンタイン粉砕デモ」だが、どうせなら、オリンピック前夜の北京で〈七夕(チャイニーズ・ヴァレンタイン*2)粉砕デモ〉をやっていただければ面白かった。