「純粋まっすぐ非モテ君」から、あれこれ

http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20080718/1216395567にて、「純粋まっすぐ非モテ君」という言葉を知る。それに対して、lylycoという人は、


たとえば、純粋まっすぐ非モテ君が女性を口説くには、その相手のことを「本当に好き」である必要があるという。いきなりの難問である。ぼくは女性のうなじや二の腕が好きだ。本当に好きだ。大抵の女性にはうなじも二の腕もある。好みの形というのはあるけれど、それにしても当てはまる人は多い。だから、道行くうなじのキレイな女性に「好きです」といっても、これは嘘にはあたらない。「好きです(うなじが)」の( )内を省略しただけのことである。なんてことを書くと、そんなものは詭弁だとか屁理屈だとかいわれるかもしれない。本当にそうだろうか。

次の中から「本当の好き」を選びなさい。「1.好きです(顔が)」「2.好きです(ぼくに優しくしてくれるところが)」「3.好きです(颯爽と働く姿が)」「4.好きです(ぼくを好きだといってくれるところが)」「5.好きです(話していると楽しいところが)」…純粋まっすぐ非モテ君の答え、「すべて本当ではありません」。1bitの世界観ではそう答えるしかない。そして、おそらく正い答えはひとつだ。「好きです(すべてが)」。はたして、これは成立可能だろうか。本当に誠実にすべてが好きだというためには、まず相手のすべてを知る必要がある。

すべてを知りもしないのに、すべてが好きですなどというのは欺瞞だ。現在の彼女はもちろん、まだ見ぬ将来の彼女まで見通して初めてすべてである。将来好きじゃなくなるかもしれないのにすべてとは片腹痛い。1bitの世界観でそんな欺瞞が許されるはずはない。少なくとも口説く前に、デートやセックスはもちろん10年やそこら同棲してみる必要がある。それでもまだまだ十分とはいえないだろう。いや、冷静になってみればすべてなんて一生かけても分からないんじゃ…。待てよ、そもそも好きかどうか分からない相手とデートやセックスや同棲をするなんてダメだ!
http://diary.lylyco.com/2008/07/post_124.html

と、論理的に論評する。
これについての私の取り敢えずの回答は、「誰かに強烈に惹き付けられて、どうしてもその誰かと合一したいという強烈な欲望」*1が問題なのだろうということだ。また、論理ということに引っかけて言えば、「本当の好き」というのは、論理のリミットにおいて、つまりその還元不可能性において、噛み砕いて言えばその割り切れなさにおいて示されるものではないか*2
勿論、近代においては愛があらゆる根拠とか口実を刎ね除けて純化される傾向があるので(See 樫田美雄「恋愛と結婚 あなたはロマンチック・ラブを信じていますか」in 張江洋直、井出裕久、佐野正彦編『ソシオロジカル・クエスト』)、「純粋まっすぐ非モテ君」というのは或る意味でラディカルなモダニストであるといえるし、私としても(〈恋愛原理主義者〉を自称しているので)幾分ともその心性を共有しているということはあるだろう。
ソシオロジカル・クエスト―現実理解の社会学

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さて、


http://d.hatena.ne.jp/heartless00/20080804/1217810488



で、そもそもなぜ非モテが自分から動かず閉じこもっているかと言うと、非モテにとっては女性が非モテ近づくなオーラを放っているように見えるからである。非モテ近づくなオーラを放っているように見えるから更に閉じこもる→更に避けられる→更に閉じこもるというデフレスパイラル。よく「閉じこもってるからキモがられるのだ」「ニワトリタマゴ、どっちが先かはわからない」「近づくなオーラなんて勘違い。被害妄想」みたいな事を言われるが、これは絶対に嘘である。
また、コメント欄において、

また、もし改善されてモテたとしても不全感はぬぐえないと思います。今まで嫌われてきたのに、かっこよくなった途端にモテたら人間不信に陥りそうです。ホリエモンの「女は金についてくる」みたいな。ダメな自分を隠して、相手を騙しているという自罰感や、単なるロールプレイにすぎないという空虚感や、結局見た目ですか、といった不信感とか。だとしたら、ダメな自分をそのまま承認してもらうために運命を待つ、という選択肢も合理的かもしれません。
ホリエモン」だ! この「女は金についてくる」云々という発言の元々の文脈は知らない。だが、世間的なステレオタイプでは、この科白には〈拝金主義〉とか〈傲慢〉というタグが付く。勿論、

「女は金についてくる」とかわざわざゆう人はマネーに関係なく純粋に愛してくれる無垢なる乙女を求めてやまないロマンティストと相場が決まってるのです。むしろロマえもんと呼んだほうがいいくらいなんですよ。数々の金満発言は「おれ、間違ってた」と女神のひざで泣くための壮大な前フリなんです。*3
という解釈もある。しかし、これは深い諦観であり、また不安の表明でもある。さらに、これは必ずしも「非モテ」だけが抱えている不安ではないだろう。寧ろ「モテ」る人の方が深刻に抱えているのかも知れない*4。そういえば、最近視た山田太一脚本の『星ひとつの夜』というドラマ。デイ・トレイダーである玉木宏は相手にとって自分が〈金目当て〉になってしまうのではないかという不安から、付き合っている女性(国仲涼子)に、自分の正体(金持ちのデイ・トレイダー)を明かすことができない*5
星ひとつの夜 [DVD]

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さて、イーノ*6の”I’ll Come Running”は多分「白馬の王子を待つ非モテ」も共感するんじゃないか;

I’ll find a place somewhere in the corner
I’m gonna waste the rest of my days
Just watching patiently from the window
Just waiting seasons change, some day
Oh, oh, my dreams will pull you through that garden gate.


I want to be the wandering sailor
We’re silhouettes by the light of the moon
I sit playing solitaire by the window
Just waiting seasons change, ah, ah
You’ll see, one day, these dreams will pull you through my door
And I’ll come running to tie your shoe
And I’ll come running to tie your shoe.
http://www.lyricstime.com/brian-eno-i-ll-come-running-lyrics.html

アナザー・グリーン・ワールド

アナザー・グリーン・ワールド

*1:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080714/1216008269 See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080816/1218851497

*2:Bonnie Honig(Political Theory and the Displacement of Politics)の”remainders”という概念を参照されたい。See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070325/1174818827 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080216/1203142535 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080605/1212640212

Political Theory and the Displacement of Politics (Contestations)

Political Theory and the Displacement of Politics (Contestations)

*3:http://www14.big.or.jp/~onmars/index.cgi?date=2004.11.05 オリジナルが削除されているようなので、http://d.hatena.ne.jp/kanose/20050325/horieから孫引き。

*4:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061029/1162091586 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070811/1186807194

*5:映像として凄いと思わせる場面はなかった。TVドラマなので仕方がないとはいえるが。物語の展開としては、笹野高史渡辺謙への同性愛的な感情をもっと表面に出せば面白かったのになとは思う。

*6:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20050713 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20071013/1192258586 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080520/1211288624