Paul Auster on Celan's “Largo”

承前*1

空腹の技法 (新潮文庫)

空腹の技法 (新潮文庫)

ポール・オースター「流刑の詩」(in 『空腹の技法』)から。


彼[ツェラン]について行くこと、彼の流れを一歩一歩すべて追うことは不可能である。テクストを精読することよりもむしろ、トーンや意図の感覚に導かれて読者は読み進む。ツェランはあからさまに語りはしない。だが自分を明晰に表現しないことは絶対にない。彼の作品にランダムなところは何もない。詩が伝える認識を、不要に曖昧にするような要素はひとつもない。人は彼の詩を肌で、いわば浸透によって読む。細かいニュアンス、響き、構文のねじれ等を、無意識のうちに吸収しながら(それらの要素自体、論理的内容と同じくらいの度合いで詩の意味なのだが)。ツェランの詩作法は、『フィネガンズ・ウェイク』におけるジョイスにも通じる。だが、ジョイスの芸術が蓄積と拡張の芸術、無限への螺旋運動だとすれば、ツェランの詩はつねに、それ自身へと崩壊していく。おのれの前提自体を否定し、何度も何度もゼロに行きつく。我々は不条理の世界のなかにいる。だが我々をそこへ導いたのは、不条理に黙従することを拒む一個の精神なのだ。(pp.125-126)
オースターのこの日本語版の読者にとって幸運なのは、ツェランの「ラルゴ」の独逸語原文、英訳、和訳を一挙に読めるということだろう。

Gleichsinnige du, heidegangerisch Nahe:



uber-
sterbens-
gross liegen
wir beieinander, die Zeit-
lose wimmelt
dir unter den atmenden Lidern,



Das Amselpaar hangt
neben uns, unter
unsern gemeinsam droben mit-
ziehenden weissen


Meta-
stasen. (cited in pp.128-129)


You of the same mind, moor-wandering near one:


more-than-
death-
sized we lie
together, autumn
crocuses, the timeless, teems
under our breathing eyelids,
the pair of blackbirds hangs
beside us, under
our whitely drifting
companions up there, our


meta-
stases. (cited in pp.126-127)


(想いを同じにする女 お前、荒野をいく者のように近しい女――


死を
超える程の
大きさで
ぼくたちは並んで横たわる、イヌ‐
サフラン
お前の息づいている瞼の下に群生する、
つがいのアムゼルが
ぼくたちの隣に浮かぶ、
一緒にあのうえを
さすらっていくぼくたちの白い


転‐
移の下に。) (cited in pp.127-128)

オースターは、「一行目の heidegangerisch(荒野をいく)は否応なしにハイデガー(Heidegger)を連想させる」(p.129)、「この詩でハイデガーが念頭に置かれていることは、ハイデガーの哲学的著作の中心的用語(Nahe=近い、Zeit=時間、等)が使われていることからも裏づけられる」(pp.129-130)という。
また、「アムゼル」を巡って;

第三スタンザにはアムゼル、すなわちクロウタドリが二羽登場する。クロウタドリといえばおとぎ話の定番的存在であり、謎を使って喋り、悪い知らせをもたらす鳥だが、「アムゼル」という音はツェラン自身の名「アンチェル」のエコーを感じさせる。と同時に、ギュンター・グラスの小説『犬の年』もここでは喚起されている。戦時中における、一人のユダヤ人と一人のナチとの愛憎関係を綴ったおいて、ユダヤ人はアムゼルと名づけられ、作品全体を通して、(ふたたびジョージ・スタイナーを引けば)「ハイデガー形而上学の専門用語の、悪意に満ちたつぎはぎ」が見出されるのだ。(p.130)
また、「白」を巡って;

詩の終わり近く、「一緒にあのうえを/さすらっていくぼくたちの白い」はホロコーストによるユダヤ人犠牲者への言及――火葬場で焼かれた死体たちの煙――だ。「死のフーガ」のような初期作品(「かれはぼくたちに空中にひとつの墓をくれる」)から「ラルゴ」のような後期の詩に至るまで、ツェランの作品中のユダヤ人死者たちは空中に住んでいる。彼らは我々が呼吸することを強いられる物質そのものなのだ。魂が煙に変わり、土に、まったくの無に変わる。「白い/転‐/移の下に」。(ibid.)

See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080105/1199511204 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080108/1199795624