麻雀――千葉県と寧波

黄沐槿「海辺的麻将博物館」『O2』2008年2月号、pp.38-39


雑誌『現代麻雀』を発行する竹書房のオーナー、野口恭一郎氏は1999年4月に千葉県に「世界上唯一的」麻雀博物館を開設した(千葉県の何処にあるんだ?)。この千葉県の博物館のコレクションには、ラスト・エンペラー溥儀の麻雀牌も含む。野口恭一郎氏は今度は寧波にて「中国第一」の麻雀博物館の開設に協力した。何故、寧波かといえば、寧波は麻雀発祥の地である。麻雀は1864年に寧波の高官であった陳魚門という人によって発明された。当時水夫たちが紙の牌で遊んでいたゲームをヒントにして、紙に換えて竹の牌としたもの。標準的な中国語で麻雀は「麻将」と書き、麻雀はスズメという意味しかないが、元々は「麻雀」と書かれていたのであり、麻雀をマージャンと読むのは寧波の方言に由来する。また、陳魚門と仕事上の交流があった当時の寧波駐在の英国領事によって麻雀は英国に伝えられた。
映画『色|戒』*1でも麻雀は重要な役割を果たしている。また、題名は遺憾ながら忘れてしまったが、アガサ・クリスティの小説にも上流階級の女性たちが麻雀に興じるシーンがあったと思う。このように中国や西洋において、麻雀は上流階級、女性といった属性と結び付けられて表象される*2。しかしながら、日本の文脈では麻雀は男性(サラリーマンや大学生)に結び付けられている。これはどうしたことか。ただ、上の記事では、麻雀は1909年前後に日本に伝来したが、最初は「在藝術家和有閑階層中流行」であったという。麻雀が「有閑階層」からサラリーマンなどに移ったのは何時なのだろうか。
ところで、私の世代で衰退したものは少なくとも2つあり、それは露西亜文学の教養*3と麻雀である。私を含めて同世代で麻雀をやる人というのは、1年か2年上の世代と比べるととても少ない。それは私の周囲だけではないようで、1980年代における雀荘の衰退は著しい。管見の限り、このことの文化史的な意味について考察した人はいないようだし、私も自分の世代が惹き起こした文化変容の意味について全くわかっていない。

*1:Cf. http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070829/1188363869

*2:中国人‐上流階級‐女性‐麻雀の表象で最も重要なものの一つは、白先勇の短編小説「最後の貴族」か。

最後の貴族 (徳間文庫)

最後の貴族 (徳間文庫)

*3:Cf. http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061019/1161272263