関西人/中国人など

世界の音を訪ねる―音の錬金術師の旅日記 (岩波新書)

世界の音を訪ねる―音の錬金術師の旅日記 (岩波新書)

久保田麻琴『世界の音を訪ねる』から;


関西アクセントは”シノワズリ”だ。中国語にかぶれた、という言い方が悪ければ、影響を受けた結果のやまとことばが関西弁だと思っている。唄うような四声(四種類の音程とイントネーション)を取り入れ、粋がったアクセントでしゃべるという遊び心のある話法。渡来人が多い一〇世紀以前の近畿地方ではそういうことが行われたと想像できはしないか。様々な文化と芸術、技術を持った大陸からの人たちのアクセントを当時の都の青年たちが格好よく真似てみようと思うのも無理からぬ話ではないか。(p.103)
「関西弁」ネイティヴの人の反応や如何に?
「一〇世紀以前」というと唐朝ということで、やはり標準の中国語とされていたのは長安の音ということになるのだろう。時代が下って明朝になると、標準の中国語は南京の音となる*1。所謂南京官話だが、南京官話では「四声」ではなくて、五声である。南京官話の支配的地位は満洲人の清朝になってもすぐには変わらなかった――

清朝前期、仍承襲明代朝廷的標準音、直到雍正四年(1724年)完成的官修韻書《音韻闡徴》還是用的保留古音較多的南音系統。雖然旗人口中説的是他們従生活在幽燕和遼東地区学得的北方話、但在宮廷中還是使用明代官話、直到乾隆十七年(1752年)、経過優化的遼東、幽燕官話語音才正式取代了南京話基礎的明代官話在朝廷朝会中取得了清代宮廷語音的正音地位、這就是普通話的前身。( 銭乃栄「従利瑪竇尋找“官話化石”」『新民週刊』2007年11月9日号、p.29)
南京が標準語だということは日本でも認識されていたらしく、明治9年までは学校で教える外国語としての中国語は南京官話であった。世が世なら、例えばsean97先生*2も北京語ではなく南京語を教えていたということになる。

さて、久保田麻琴氏は映画館の息子だという(p.118)。東でいえば、桑田佳祐もそうではなかったか。

*1:銭乃栄「従利瑪竇尋找“官話化石”」(『新民週刊』2007年11月9日号、pp.28-29) See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20071112/1194873628

*2:http://d.hatena.ne.jp/sean97/