日蓮と天皇(メモ)

神国日本 (ちくま新書)

神国日本 (ちくま新書)

佐藤弘夫『神国日本』から少しメモしておく。
中世日本において、(少なくとも理論上は)「天皇が唯一の正統なる国王である必然性はまったくな」く、「天皇以外の者が直接超越的権威と結びつき、そこから支配の正当性をくみ出すような王権のあり方も存在しえた」(p.188)。しかし、そのようなことは起こらなかった。ただ、日蓮はそのような王権の可能性を論じた;


日蓮にとって唯一至高の存在は仏法であり、それを人格的に体現した釈尊という絶対的存在だった。他界としての霊山浄土にいる釈尊は全宇宙の本源的支配者であり、この娑婆世界の王たちは仏法を守護して「安国」を実現するという条件と引き換えに、釈尊の領土の一部を委託されていた。その条件に違反して仏法に敵対したとき、王は宗教的懲罰を受けて失脚し地獄に堕ちるのであり、日本でも過去にこうした運命をたどった天皇が実在した。――日蓮はこうした論理をふりかざすことによって天皇の権威を徹底して相対化するとともに、かつての源頼朝北条泰時のように、一時的にせよ天皇に代わって王位に即いた人物が実際にいたことを公言するのである。
日蓮以外にも、他界にある本仏に絶対的権威を見出す専修念仏などからは、こうしたタイプの国王観が提起される可能性は常に存在した。一向一揆に見られた「この世の主君よりもあの世の仏」といった論理は、その典型である。三河の徳川の家臣たちは、一揆の際にこの論理を掲げて家康から離反していった(p.189)。