「神」の使い方

Via http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20110521/1305936056 http://d.hatena.ne.jp/vanacoral/20110520

与謝野馨*1が何か言ったという。
時事通信の記事;

福島原発事故は「神の仕業」=東電の責任否定―与謝野経財相

時事通信 5月20日(金)11時12分配信
 与謝野馨経済財政担当相は20日閣議後会見で、東京電力福島第1原発事故は「神様の仕業としか説明できない」と述べた。同原発津波対策に関しても「人間としては最高の知恵を働かせたと思っている」と語り、東電に事故の賠償責任を負わせるのは不当だとの考えを重ねて強調した。
 今回の原発事故をめぐっては、安全対策の不備や人災だとの指摘が国内外から出ている。「最高の人知」や「神による異常な自然現象」という論理で東電を徹底擁護する主張には、「原発は安全」と説明されてきた地元住民らからも批判が出そうだ。 
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110520-00000050-jij-pol

このような「神」の用法は所謂「天罰」路線*2とはまた違った味があるともいえるのだが、マジな話、これに対しては、ウルリッヒ・ベック

地震が起きる場所に原子力施設を建設するというのは、政府であれ企業であれ、人間が決めたことです。自然が決めたわけではありません

18世紀にリスボンで大地震が起き、深刻な被害が出たとき、当時の思想家たちは、どうして善良な神がこんな災害をもたらすのかと考えた。今日、神を問題にするわけにもいかず、産業界などは自然を持ち出すのです。しかし、そこに人間がいて社会があるから自然現象は災害に変わるのです
(Cited in http://nekodayo.livedoor.biz/archives/1537440.html
という発言を対置しておけば充分なのだろう。
与謝野は東京電力を庇ったつもりなのだろうけど、この発言は以下のように脱構築されてしまうことになる。上の記事に対するブクマ・コメントに曰く、

D_Amon 仮に「神様の仕業」というのが真とすれば原発は人の手に余るものということなる。ならば、そのような人の手に余るものに手を出してはいけない。東電の責任は否定できるかもしれないが原発は廃絶しなければならないな 2011/05/20 Twitterでのツイートを閲覧14 clicks
http://b.hatena.ne.jp/D_Amon/20110520#bookmark-43215658

Gl17 人知の限界尽くして、しかしあんな広域被害が出るというなら、そんなもの実用にしていい技術じゃないってことだろ。 それを言ったら原子力の安全は絶対確保できないって意味に、タイヘンだ!(棒) 2011/05/20
http://b.hatena.ne.jp/Gl17/20110520#bookmark-43215658
ところで、与謝野ってクリスチャンだったんだっけ。原発事故を引き起こす神というのは基督教的・新約的な神よりも旧約的・ユダヤ的な神に近いような気がするのだが、与謝野発言を巡っての神学的議論というのはあるのかないのか。〈祟る神〉については、日本の神道の文脈で、佐藤弘夫『神国日本』に興味深い記述があるのだが、今詳述する余裕なし。
神国日本 (ちくま新書)

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なお、与謝野馨が自らの青春について自白しているようだけれど*3、これについては植木等*4の歌声が聞こえてくるぞという以上のことは言わないでおくことにする。