『幕末太陽傳』或いは昭和30年代

植木等さん*1について、Talpidae氏が


植木等の歌声ってホントにクレージーだったし、それこそ、ジョン・ライドンに匹敵するぐらい挑発的だったと思う。

 しかし、当時、クレイジーはどんな風に受け取られていたのだろう?思いつくのは、「しびれ節」の放送禁止ぐらい。ドリフの『8時だよ全員集合』は当時低俗番組としてさんざんやり玉にあげられたものだが、テレビ創成期の『シャボン玉ホリデー』にそんなことはなかったのか?

 分からないまま言ってしまうのだが、どこか昭和30年代にはその後にはないおおらかさを感じる。それはクレイジーだけではない。正月に某放送局で再放送をされていたザ・ピーナッツの回顧番組を見ていたら、あらためて作曲家宮川泰のモダンな感覚に魅了された。そもそも山下達郎のラジオ番組でやった追悼特集が気になりそれで見てみたのだが、あのたまにテレビで見かけたオーバー・アクションのおっさんはこんなにスゴイ人だったんだ。でも、これは40年代に入ると失われてしまう。他の作曲家も起用した40年代のピーナッツはムード歌謡みたい。

 また、宮川泰だけではなく、中村八大やいずみたくの楽曲を聴いても、とてもいけている感じがする。これは、よく言われていることだとは思うが、彼らが大先生に弟子入りして作曲を学んでというのとは違って、そのベースにジャズがあったからなのだと思う。クレイジーの面々もまたジャズメンであり、その同じ空気をすっていたのだ。
http://d.hatena.ne.jp/Talpidae/20070328/p1

と書いている。
ここでは、昭和30年代と「40年代」の雰囲気の違いについて書いている。勿論、その違いについて、私は二次的情報に基づいてしか語れないのだが、たしかに1955年から東京オリンピックの1964年に到る10年間というのは「昭和30年代」として一括して語ってもいいような気がするのだ。因みに、桜井哲夫氏は『思想としての60年代』で60年代の起点を「東京オリンピック」に置いている。
思想としての60年代 (ちくま学芸文庫)

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また、「昭和30年代」というのは元号で時代を語ることがしっくりとくる最後の年代という気がする。その後は、昭和40でも50でも何となくぴんとこないのだ。
ここでいわれている「昭和30年代」の活気というのを改めて感じたのは、川島雄三監督の『幕末太陽傳』(1957年、昭和で言えば32年)。先ず何よりも、映画全体を貫くビートが「ジャズ」である。音楽は黛敏郎。主演のフランキー堺はそもそもジャズ・ドラマーだった人。ストーリーは落語の「居残り佐平次」と「品川心中」をベースにしたもの。因みに、ジャズと落語というのは戦後日本の知識人にとって不可欠の(少なくとも裏の)嗜みではあった*2。『幕末太陽傳』とは「太陽族」を踏まえたもの。幕末の太陽族。実際、東京都知事閣下の弟でもある石原裕次郎が高輪の英国公使館へのテロを企む高杉晋作を演じている。裕次郎のほかにも、小林旭二谷英明といった主役を張れる人々が出演しているのだが、やはりここでのフランキー堺は凄い*3裕次郎については後で書く。
それから、見所はオープニングの当時の品川駅から未だ赤線地帯だった北品川、そして「相模屋ホテル」と名を変えていたかつての土蔵相模*4のネオンから江戸時代の行燈へという、現代→江戸時代、現実→虚構のジャンプ。さらに、

 撮影も押し詰まったある日のこと、川島は突如、台本の変更を言い出した。田舎親父の杢兵衛大尽(市村俊幸)に捕まった佐平次が海沿いの寺から走って逃げ出すが、これをさらに引き延ばし、撮影所の出口から飛び出して現代の−昭和32年の−東京の町に投げ出そうというのだ。
 スタッフ、キャストは猛反対。今聞くとなかなか面白い演出なのだが、何しろ今から40年以上も昔のこと。あまりにも斬新過ぎるそのアイデアは通らず、助監督・浦山桐郎から頼まれたフランキー堺が川島を説得、川島が折れて結局は幻と終わった。

 この演出について、出演者のひとりである小沢昭一氏が雑誌のインタヴューで詳細に語っていた。それによると佐平次の出現する先は昭和32年の北品川カフェー街、佐平次だけが映画そのままの江戸時代の装束で、他の出演者、左幸子南田洋子は赤線地帯の売娼の姿、小沢昭一は自転車に乗った貸本屋の姿でそれを見る、というものだったらしい(ちなみに小沢氏は「絶対にその方がいい」という数少ない肯定派であった)。
http://www.sadanari.com/k-sakuhin/baku-st.html

ということもあったという。
さて、石原裕次郎について、

石原裕次郎が戦後日本を代表するスーパー・スターのひとりであることは間違いない。石原慎太郎だって、その人気の数割かは〈弟の七光り〉であろう。しかし、私は、石原裕次郎のスターとしてのカリスマ性というのを全然感じたことがないのだ。ただのデブオヤジだし、演技も巧いとはいえず、歌もはっきり言って下手だ。何故あれが戦後を代表するスターなのか。しかしながら、私よりも上の世代にとっては、裕次郎のスター性というのは自明なものであるらしい。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061118/1163845906
と書いたことがある。実際、私が石原裕次郎と出会ったのは『太陽にほえろ』の藤堂係長としてである。「ただのデブオヤジ」というのはその印象に基づく。それから昔の映画も幾つか観たが、やはり役者としては同世代の小林旭とか二谷英明とか、或いは宍戸錠などの方が上だろうと思っていた。しかし、『幕末太陽傳』の裕次郎はクールだった。青春してますという脂ぎった感じとは全く別の孤独感。
幕末太陽傳 [DVD]

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ところで、桑江さんが石原裕次郎美空ひばりについて書いているが*5美空ひばりが「柔」とかを歌って、日本化=演歌化したのは「昭和30年代」と「40年代」の境目あたりじゃなかったでしたっけ。

*1:Cf. http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070327/1175000516

*2:あとは探偵小説か。

*3:あと、注目したのは小沢昭一

*4:現在、土蔵相模跡はコンビニになっている筈。

*5:http://blog.livedoor.jp/skeltia_vergber/archives/50305204.html