一郎ではなく昭一

小沢昭一さん*1が亡くなったのか。
『日刊スポーツ』の記事;


俳優の小沢昭一さん死去 83歳


 個性的な脇役として活躍した俳優小沢昭一(おざわ・しょういち)さんが10日、死去した。83歳だった。小沢さんは今年8月に体力が低下しているなどと診断され、9月13日から入院していた。そのため、39年間続いていたTBSラジオ番組「小沢昭一の小沢昭一的こころ」は休演し、過去の放送分を放送していた。小沢さんは98年に前立腺がんが見つかって以降、定期的に治療を受けていた。小沢さんは映画「幕末太陽伝」「楢山節考」などで脇役として存在感を示し、舞台でも芸能座、しゃぼん玉座を主宰して、井上ひさし作品を上演した。民衆芸能の研究でも知られ、日本新劇俳優協会会長も務めていた。

 葬儀・告別式は15日午前11時から東京都新宿区南元町19、千日谷会堂で営まれる。喪主は妻英子(えいこ)さん。

 [2012年12月10日16時41分]
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20121210-1058042.html


小沢昭一さん死去 ラジオ番組39年1万回


 味わい深く、軽妙な語り口で親しまれた俳優小沢昭一(おざわ・しょういち)さんが、10日午前1時20分、前立腺がんのため、都内の自宅で死去した。83歳。98年に前立腺がんが発見され、10年には頸椎(けいつい)に転移。治療しながら仕事をしていたが、8月から入退院を繰り返し、10月の退院後は自宅で静養していた。

 小沢さんが、静かに天国に旅立った。所属事務所によると、亡くなった際には、妻英子さん1人が寄り添っていたが、近所に住む長男と長女は間に合わなかった。静かに眠るように亡くなったようだと説明した。

 98年に前立腺がんが見つかり、10年には頸椎に転移していることが分かったが、入院せず放射線治療などを行っていた。同事務所は、転移には動揺を感じさせずに淡々とした様子だったと説明した。今年8月15日には猛暑の影響で、体力が落ちたことから25日まで入院した。体調が回復したように見えたが、9月に入ると、食事ができなくなり、同13日に再入院。所属事務所は「1、2週間様子をみるための入院で再入院後は病院内を歩き、コンビニにも出かけていました」と説明した。

 体力も順調に回復したように見え、小沢さんも自宅に帰りたがっていたことから、10月22日に退院した。退院の際は、喜んで自分で歩いてタクシーに乗り、自宅に戻ったという。退院したのは、自宅に医師が定期的に診療に来るなど、介護の体制が整えられてたのも理由の1つ。小沢さんは愛妻のもとで静養していたが、帰らぬ人となってしまった。所属事務所によると、最近は体力が落ちた様子だったが、誰も亡くなるとは思っていなかったと、説明した。

 小沢さんは、73年1月からTBSラジオ「小沢昭一の小沢昭一的こころ」(月〜金曜、午後0時20分)のパーソナリティーを務め、軽妙な一人語りが人気を集めていた。番組は9月24日の放送から休み、傑作選など再放送の形で番組を継続し、今月7日まで1万410回の放送となっていた。11月16日には同5日に小沢さんの自宅で収録した内容も放送。「お休みしている今は、心にぽっかりと、穴があいているような、そんな空(くう)な感覚もあるんですね。ですから、早く元気になって、この心の空の穴を、みなさんと埋めていきたい、そう思うんであります。よろしく。また明日のこころだぁ〜」。これが、最後の仕事、リスナーへの最後の言葉となった。

 ◆小沢昭一(おざわ・しょういち)1929年(昭4)4月6日、東京生まれ。早大文学部仏文科在学中から俳優座養成所に入り、52年に初舞台。54年ごろから映画、ラジオ、テレビに多数出演。73年、ラジオ「小沢昭一的こころ」放送開始。映画の代表作は「幕末太陽傳」「猫が変じて虎になる」「人類学入門」「にっぽん昆虫記」など。75年から5年間、劇団「芸能座」主宰、82年に「しゃぼん玉座」創設。民衆芸能の研究にも熱心で「日本の放浪芸シリーズ」は日本レコード大賞企画賞。94年紫綬褒章、01年旭日小綬章受章。

 [2012年12月11日7時16分 紙面から]
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20121211-1058255.html


小沢昭一さんに怒られた」永六輔、ラジオ番組で追悼

2012.12.11


1974年12月、永六輔さん(中)、野坂昭如さん(右)と中年御三家を結成し、日本武道館でコンサートを行った小沢昭一さん(左)。背景の写真は、左から小沢さん、野坂さん、永さん【拡大】

 10日に83歳で亡くなった俳優、小沢昭一さんと親交のあった作家、永六輔さん(79)は同日、TBSラジオに電話出演し「ちょっと前に自宅周りを散歩していると聞き、そのときの句が『退院の一歩一歩の落ち葉踏む』。当人は良くなってきたと思っていたんだろうね」と死去を惜しんだ。

 ともにラジオの長寿番組を持つ間柄でもあった。「僕がこの春、体調が悪くて、『(ラジオを)辞めようかと思う』と言ったら、すごく怒った。『周りが言っても辞めちゃダメだよ』と励まされた」というエピソードを披露した。

 さらに、「意外と知られていないが、彼は早稲田大在学中に初めて落語研究会を作り、それからオチケンが日本中の大学に広がった。猿まわしの復活運動にも取り組んだ。自分でやったことをエバらない。業績を隠したがる人だった」としのんだ。
http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20121211/enn1212111539012-n1.htm

小沢さんの著書として、『私は河原乞食・考』と『日本の放浪芸』をマークしておく。
私は河原乞食・考 (文春文庫)

私は河原乞食・考 (文春文庫)

日本の放浪芸 (1982年) (角川文庫)

日本の放浪芸 (1982年) (角川文庫)