大正天皇、大正時代

29日は「昭和の日」であったそうな。それならば、120数代続く天皇の誕生日を可能な限り悉く調べて、孝明の日とか後水尾の日とか安徳の日etc.も制定したら如何か。一挙に祝日が100以上増えるぞ。
さて、小林拓矢氏曰く、


ふと思ったのだが、大正天皇を記念する休日はない。

 明治天皇昭和天皇は讃えられるのに、大正天皇を讃えたり顕彰したりというものは聞いたことがない。大正天皇は、第一次世界大戦に勝ち、大正デモクラシーの気風を喚起した天皇である。

 明治天皇昭和天皇に比べれば陰が薄く、まったく評価されていない。

 天皇制を賛美し、皇室を愛好する人は、大正天皇に目を向けてもいいのではないだろうか。

 この忘れられ加減は尋常ではない。

 ちなみに、大正天皇誕生日は8月31日である。皇室崇拝者はこの日も休日にするべく運動するのが筋ではないか。
http://d.hatena.ne.jp/tazan/20070429#p3

たしかに、8月31日は小中学生にとってはさぼっていた宿題を片付けるのに忙しく、大正天皇にかまっている暇はないといえる。また、命日はクリスマスの喧噪に掻き消されてしまっている。さて、「陸奥」という人、コメントにて(多分宮台真司の所説を踏まえて)曰く、

大正天皇については、当時から脳や精神を病んでいるという風説があったことも、現在の歴史的な存在の薄さに繋がっているとは思いますが、年に二回のみ(今日はその日)天皇制支持者になる私にとってはあまり関心のない話題です(笑)
ただ、考え方を変えれば大正天皇は「田吾作」にとって不都合であったが故に歴史から抹消されたとも言えるわけで、このあたりは今上帝の後世の評価を考えた時に気になる部分ではあります。
何よりも、明治や昭和に比べて年数が短かったということはあると思う。また、この時代「大正デモクラシー」とか普通選挙法(序でに治安維持法)とかがあったにせよ、政治の実権は、藩閥或いは維新の元勲に握られていたといえるわけで、昭和になって「維新」を叫び、さらには日中戦争、太平洋戦争に突入した面々にとってみれば、「大正デモクラシー」とかいっても、それは既得権者の野合にしか見えなかったのかも知れない。私にとって、大正とは何よりも竹久夢二の時代であり、大杉栄の時代ではあるのだが。竹久夢二もそうなのだが、日本的なガーリー文化(というよりも乙女文化か)の発祥の時代としての大正というのも、もう少し注目されて然るべきことなのかもしれない。
ところで、大正天皇の病気であるが、それは大正天皇が幼少時からベッドに寝かされていた結果であるというような噂が流布していたというのは、かなり昔に猪瀬直樹山口昌男『ミカドと世紀末』
ミカドと世紀末―王権の論理 (新潮文庫)

ミカドと世紀末―王権の論理 (新潮文庫)

で読んだことがある。西洋化(近代化)の犠牲者なのである。