音訓制限

 白川静「文字教育について」http://info.pref.fukui.jp/syougak/kouen/zennbun.htm


福井県立図書館「白川文字学の室」開設記念講演。
最初に萬葉仮名*1から「平仮名」が生成する経緯が語られている。白川先生は萬葉仮名の「百済」起源説を採っておられるよう。
講演の後半部では、戦後の「当用漢字表」「常用漢字表」における特に「訓」の制限に対する批判が語られている。先ず、


要するに、明治の終わり、大正の初めごろに至って、我が国の文章は初めて国民的な文体として、言文一致の文章として完成したといえるのです。それまでに、万葉の時代から数えて千三百年近くもかかっているのです。そうしてできた文体が、戦争に敗れた結果、すべてご破算になりました。こういう漢字を使ってはいけない、こういう言葉を使ってはいけないというふうにして、占領軍によって今の制限漢字が命ぜられたわけです。

 初めは、仮名文字にせよ、あるいはローマ字にせよという話であったらしいのですけれども、一朝にしてそういう変革は難しいというので、若干の漢字を残すという意味において、当座の用に足すというので当用漢字と称したのです。のちに進駐軍が、日本人が意外に従順で何でも言うことを聞くから、わざわざローマナイズする必要はなかろうと、ある程度自由にさせてもよかろうというので緩めましたから、百字増やして、今の常用漢字になったのです。しかし、それはかつての日本人が使っていた漢字の半分以下です。今までの文献に現れてくる文字は、四千五百字から五千字です。それが今は千九百何十字かになっているのですから、その4割ぐらいにまで削られています。

 削られた結果、皆さんもお心当たりがあるでしょうけれども、常用漢字の範囲では自分の姓が書けない、自分の名前が書けない、自分の土地の名前が書けないというような不都合なことがたくさん出てきます。私は京都におりますけれども、京都で言えば、嵯峨とか、醍醐とか、太秦といえばだれも知らない人のない土地の名前です。しかし、これは一つも常用漢字の中にはないのです。書くことができないのです。だから、地元の新聞は大急ぎで、そういう地名だけを外の、漢字として、使うというようなことをやっていますけれども、わざわざそういう不便なことをやらなくても、こういう制限をやる必要はないのです。必要な文字を、必要な範囲において、必要な人が使うならばそれでよろしい。六十年前まではそうだったのです。ところが今は、すべて文科省が定めた、こういう文字はこういう音でしか読んではいけない、こういう文字は訓では読むことはできないという、はなはだ窮屈極まりない当用漢字表、のちの常用漢字表が作られました。

常用漢字表」にある1945字のうち、訓読みがなく音読のみのものは710字ある。以下メモしておく;

例えば「あう」という読み方をする字は「合」と「会」。しかし、この下に挙げてある「値」は、例えば、自分を認識してくれる、自分を認めてくれる人に会う場合に「値遇」といいます。それから「逢」。「逢い引き」などのときにもこの字を使います。それから「待遇」の「遇」。「遘」は結婚するときなどに使います。「覯」は「相覯る」(う)というときなどに使います。これは皆「あう」という字ですけれども、横に○がつけてあるのは、「あう」と読んではいけない。音読みとしてはあるけれども、訓読みはしないという字です。

 それから「あがる」。「上」とか「挙」「揚」は「あがる」というけれども、「戦意昂揚」という場合の「昂」、それから物価が騰貴するの「騰」などは「あがる」とは読まない。(略)


「あらわれる」という場合、「表」「現」「著」は「あらわれる」と読みます。しかし、「旌表する」の「旌」、あるいは「暴露する」の「露」、あるいは「顕彰」の「顕」、形が見えるという意味の「形」、「見」という字も玉へんをつけると「現」となる字です。これは、音では使うけれども訓では使わないというのです。そうしますと、こういう文字が出てきた場合、例えば旌表、表彰するという場合は、「旌」は表彰するという意味ではあるけれども、「あらわす」という訓がありませんから、説明できないのです。

 ここに挙げませんでしたけれども、例えば「おもう」という言葉があります。「おもう」という字では、使うことのできるものは「思」だけです。「思」は「おもう」と読んでもよろしい。「思」のもとの字は、「聰のつくり」です。「聰のつくりの上」は頭の脳みそです。「心」は心です。思い乱れて頭がくしゃくしゃして、思い悩むというときに、この「思」という字を使います。

 「念」も本来は「おもう」と読む字だけれども、これを「おもう」と読んではいけない。しかし、万葉の中には「思」と「念」とが大体半々で、それぞれ何百という用例があります。思い悩むときには「思」を使います。「念」のほうは、「今は」これでギュッと蓋をする形です。酒つぼなどは上のほうから蓋をします。それで、心に思い詰めて、じっと思い忍ぶというようなときにこれを使います。

 また遠方の人、亡くなった人を思うというとき、えり元のところに涙を垂れます。これは涙です。上が目で下が水です。下に衣の半分をつけます。そうしますと、「*懐のつくり*」という字になります。これにりっしんべんをつけて、故人をおもう、懐かしくおもうというときに使います。

 あるいは、非常に遠方の人を思うというときは、「想」という字です。木の茂ったのを見ますと、だれでも心に力がわいてくる感じがします。遠くの人を思って、その人の幸せを願うときには、そういう茂みに向かってその人を想うという思い方をします。だから、木を眺めるというこの形を使うのです。これは、はるかな人を思いやるというようなときに使います。

 また、「追憶」の「憶」という字があります。「憶」はちょっと難しいのですけれども、これは祝詞を納めている箱の上に、悪霊が侵さないように針でとどめておいて、じっと神様のお告げを聞く。例えばこれを神戸棚の前に置きますと、門構えがつきますと「闇」という字になるのです。その闇の中に神様のおとないが聞こえてくるのです。昔の人は素直でしたから、心を一つにすれば神様の音を聞くことができました。それが「音」です。これをじっと、神様の仰せはどうであったかということを、心をひそめて聞く。それが「意」という字になるのです。それにりっしんべんをつけて「憶(おもう)」という字になります。

 「おもう」という字は幾らでもあるのです。ところが、日本語の「おもう」という字は、「面(おも)」、何か心に思うことがありますと顔に出ます。顔に表れることを「おもう」という、非常に単純にして素朴な思いです。「おもう」という言葉には大体そんな意味しかありませんでした。ところが、このような漢字を幾つも輸入して、これはどういう思いであるかと、思いのしかたがみんな違うわけです。

 そうすると、国語の「おもう」という単純な古代的な意識から、周辺の人々に対する、生活上の、社会上のいろいろな思い方が文字の上で表現されるのです。それだけ我々の意識は複雑になり、我々のものの考え方は精密に赴きます。そして、「思想」とか「憶測」とか「観測」というふうにして、いろいろ熟語ができますと、その熟語によって固定された、概念規定された内容というものが一つの観念として確立するのです。これは日本語ではできないのです。これが一つの造語力として、国語を非常に発展させました。

白川先生が挙げられている(制度上はご禁制の)訓の多くがわかるというのは、考えてみれば、廣松渉先生の学恩に負うところが大きいといえる。戦後教育は勿論原理的な準位においては擁護されなければならない。だから、教育基本法「改正」には反対である。しかし、〈文字〉に関しては、徹底的に批判されなければならない。前にも書いたかも知れないが、私は日本人であるにも拘わらず正字正仮名を(読めるけれど)書けない。この責任の一端が文部省と日教組(その他の教員団体)或いはマス・メディアにあることはいうまでもない。