「王」と「皇」など

岡本隆司*1「なぜ君主号を考えるか:「はじめに」に代えて」https://www.huffingtonpost.jp/foresight/prince-20180409_a_23404468/


エリザベス女王の跡継ぎがチャールズ皇太子であることの問題。


英語では一般的に、君主の後嗣のことを「クラウン・プリンス(crown prince)」と言う。日本で「クラウン・プリンス」と呼ばれるのが天皇の継嗣たる「皇太子」であるのは、言うまでもない。

 イギリスの場合、継嗣の称号が「プリンス・オヴ・ウェールズ」だと言っても、立場は日本の皇太子と等しいのだから、日本語は同じ称号で呼べばよい。そういう論理も成り立つ。だからチャールズ「皇太子」に、何も目くじら立てる必要はないのかもしれない。

 それでも筆者にとっては、「王」と「皇」「帝」との区別をつけないのは、どうしてもおかしいとしか思えない。東アジア・中国など漢語圏の歴史を専門にしていて、漢字の表記・含意にいささか敏感だからなのだろう。そのおかしなことがどうやら、一般的には奇妙と感じられていない。なぜそうなってしまうのか、そこに無限の関心を覚える。

 奇怪なのは、チャールズだけではない。サウジアラビアにも、やはりムハンマド・ビン・サルマン「皇太子」がおり、こちらはサルマン「国王」の後嗣である。かたやチャールズ皇太子の息子も、ウィリアム「王子」、ヘンリー「王子」なので、やはり君主の後継ぎのみ「皇」の字にするのが、日本の感覚・風習らしい。

 イギリスもサウジアラビアも同じとあれば、どうやら国を問わない。デンマークスウェーデンも、アブダビブルネイも、確かにみな「皇太子」である。アブダビブルネイの政体については、まったく知らない。けれどもヨーロッパの諸国は、いずれも「王」国なはずである。

 外務省のホームページにも、はっきりそう記してある。どうも「crown prince」の日本語訳は、とりもなおさず「皇太子」だというのが、日本の新聞・テレビのみならず、政府・外務省の公式見解のようだ。しかし政府の定める、またマスコミの用いる日本語・漢語・翻訳が正しく適切だとは限らない。いな、国民にいま強要している常用漢字や現代かなづかいの水準1つとってみても、そこは大いに疑うべきである。

たしかに、東亜細亜漢字文化圏において、、「王」か「皇」という問題は重要且つ敏感な問題であろう。かつて昭和天皇が死去した際に、韓国のメディアは昭和天皇のことを、「皇」の字を忌避して「日王」と表記した。英語のemperorとkingの区別もそうだと思うけれど、漢字の、「王」か「皇」という問題にしても、拘りだすと、対等な主権国家間の関係という現代の国際関係の建前と齟齬を来してしまう。だから、敢えて鈍感を装っているのかも知れない。
岡本氏が中国史の専門家として、「「王」と「皇」「帝」との区別をつけないのは、どうしてもおかしいとしか思えない」と述べるのは十分に理解できる。日本の制度においては(現行の「皇室典範」においても)「王」というのは親王よりも下の格下の皇族にすぎない。その一方で、日本語においては、「王」と「皇」というのは通用字であるかのような様相を呈しているというのも事実であろう。具体的には「のう」という音を通して。「天皇」はテンコウではなくテンノウと念む。また、「四天王」はシテンノウ。尊王でも尊皇でも念みはどちらもソンノウで、意味はどちらも同じ。勤王と勤皇もそうだけど、勤王の志士とはいっても勤皇の志士とはあまり謂わないね。何が言いたいのかといえば、「皇」と「王」のハイアラーキーとは別に、日本人(というか日本語話者)は「王」も「皇」もあまり変わらないと自然に感じている可能性があるということだ。ところで、、「皇」と「王」の混同(通用)の由来だけど、日本人が勝手に混同したということではないらしいのだ。天皇のように「皇」をノウと念むのは呉音に由来する。「皇」は呉音ではワウ(オウ)であり、天皇の場合、直前のnの影響でオウはノウに変化する(連声)。また、「王」は呉音と漢音で変化はない。呉音は中国沿海部の方言をベースにしたもので、漢音は長安辺りの方言をベースにしたもの。「皇」と「王」の混同(通用)の起源は中国大陸にあったと言えるのではないか。或いは、地域差。皇権からの距離が関係していたのも知れない。繰り返すと、「皇」と「王」を区別する方言と区別しない方言があったということ。
因みに、現代のマンダリンでは「王」の跡継ぎを(性別を問わず)「王儲」と謂う。そこで、「皇」か「王」か以外に、英語のcrown princessをどう訳すのかというジェンダー論的問題が出来するのだった*2