「同一性保持権」、それから反復について

承前*1

『読売』の記事;


「おふくろさん」改変版はダメ、音楽著作権協会が方針
 日本音楽著作権協会JASRAC)は7日、川内康範さん作詞のヒット曲「おふくろさん」について、原曲にはない歌詞を加えた改変版の利用を認めないという方針を発表した。

 歌手の森進一さんが、昨年のNHK紅白歌合戦で、オリジナルにない詞を加えて歌ったことに対して、川内さんが同協会に「無断改変に当たる」と通知していたことを受けての措置。

 同協会によると、「改変版を利用すると、著作権法に規定された川内さんの同一性保持権を侵害する疑いがある」としている。オリジナルの「おふくろさん」は、従来通り利用できる。

(2007年3月7日19時15分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20070307i211.htm

「同一性保持権」という言葉が出てきたことによって、森進一−川内康範問題というか「著作権」問題は一挙に哲学的問題に突入したような気がする。何しろ、「同一性」というのは古来哲学の最重要問題のひとつであったからだ。
さて、作品は反復される。作品の反復のされ方には大まかにいって3通りあると思う。先ずはその都度の身体的パフォーマンスによるもの。それから複製。そして、身体的パフォーマンスの複製の機械的反復。また、これらの反復のされ方には、作品の在り方が対応している。複製だけど、最もわかりやすいのは印刷である。書物は印刷という出来事を通して、作者の死後も反復される。それが朗読という仕方で反復される場合、それはその都度の身体的パフォーマンスに当たる。現代において、(広い意味での)文学は複製によって反復される*2。演劇やダンスはその都度の身体的パフォーマンスによってである。では、映画や音楽はどうなのか。これらの場合、身体的パフォーマンス(演技、演奏)を複製したフィルムやディスクが、その都度その都度映写機やCDプレイヤーにかけられることによって反復がなされる。それを「身体的パフォーマンスの複製の機械的反復」という不器用な言い方で表現した。作品の在り方だけど、文学の場合、作家や詩人が書いた文言がそのまま読者が享受する対象となると大まかにはいえる。では映画や音楽の台本、歌詞、(譜面に記された)曲はオーディエンスが直接享受する対象ではない。オーディエンスが直接享受するのは、スクリーンに映し出された映像であり、スピーカーから流れてくる音である。或いは、フィルムやディスクの内容といえるかも知れない。
その意味では、事柄が複製に関わる場合、「同一性保持権」というのは容易く理解できる。この原則に立てば、映画がTVでオンエアされる場合のCMによる中断、或いは『巨人の星』再放送であったような〈差別〉的な台詞のカットというのは、「同一性保持権」の侵犯として禁止の対象となるだろう。さらにいえば、書物の場合のフォントやレイアウトの変更も(厳密に考えれば)「同一性保持権」の侵犯として禁止されなくてはならない。しかし、映画の台本や歌詞、曲というのは享受される映画や音楽そのものではない。例えば、曲を作曲家が譜面に記した段階では、音楽はたんに作曲家の脳内で想像されたものとしてあるのであって、それが実在するようになるのはプレイヤーの身体的パフォーマンスを通してである。歌詞の場合でも、作詞家が原稿用紙に書き記した段階では、それはたんなる言葉であって、歌詞として実在するためには、ヴォーカリストの発声器官によって歌われる必要がある。文学の場合、作家の生原稿をそのままコピーしただけでも文学作品として流通しうる。しかし、作曲家の譜面や作詞家の原稿をそのままコピーしても、音楽として流通するということにはならない。
ところで、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070123/1169575048で書いたこととも関係するのだが、近代のクラシック音楽においては、プレイヤーは作曲家の意図を忠実に再現する人間複製機と見なされていたといってよい*3。その意味では、今回の「日本音楽著作権協会」の方針というのはきわめてクラシック的なものだともいえる。また、書物が写本という仕方で反復されていた時代、書物のテクストは書き写す人のその都度の関心とか気分によって変更されていくのが当然ではあった。

*1:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070302/1172819496

*2:勿論、作品が真に反復されるのはその都度その都度の〈読む〉というパフォーマンスによってであるが、このことは(後に言及するかも知れないが)取り敢えず捨象しておく。

*3:それが可知性の可感性に対する優位、頭と手、つまり精神労働と肉体労働の分離と精神労働の優位ということと重なっていることは注目すべきだろう。