本を買った。
朝比奈秋『私の盲端』朝日文庫、2024
刑部芳則『昭和歌謡史 古賀政男、東海林太郎から、美空ひばり、中森明菜まで』中公新書、2024趙景達『朝鮮民衆の社会史――現代韓国の源流を探る』岩波新書、2024Jacques Derrida『他者の単一言語使用――あるいは起源の補綴――』(守中高明訳)岩波文庫、2024【8月新刊⑤ 20日発売】
— 岩波新書編集部 (@Iwanami_Shinsho) 2024年8月2日
趙 景達『朝鮮民衆の社会史──現代韓国の源流を探る』
韓国は儒教国家と言われるが、それは事実の半面に過ぎない。歴史の基底には、多様な信仰、祭礼、共同体、文化があり、現代にも根付いている。私欲と共助が錯綜する世界で生きた人々の姿を描く、民衆史の精髄。 pic.twitter.com/2aB3d98NiU
【岩波新書8月の新刊⑤】
— 岩波新書編集部 (@Iwanami_Shinsho) 2024年8月20日
趙 景達『朝鮮民衆の社会史──現代韓国の源流を探る』
韓国は儒教国家と言われるが、それは事実の半面に過ぎない。歴史の基底には、多様な信仰、祭礼、共同体、文化があり、現代にも根付いている。私欲と共助が錯綜する世界で生きた人々の姿を描く、民衆史の精髄。 pic.twitter.com/TWSrRXJCex
ジャック・デリダ『他者の単一言語使用――あるいは起源の補綴』岩波文庫版、出来(全面新訳&訳者解説)。植民地主義帝国フランスの暴力、ヨーロッパ近代植民地主義そのものの暴力を告発し、その犠牲者たる「フランスーマグレブーユダヤ人」デリダが、みずからの受苦と悲嘆(grief)を刻む無比の証言⇒ pic.twitter.com/QxEL3EpwuE
— 守中高明Takaaki Morinaka (@ladissemination) 2024年8月1日
⇒脱構築とは一般化可能な方法論ではなく、模倣可能な技術でもない。それは、そのつど一度かぎり場をもつ思考の出来事であり、人はただ、その「同じ」出来事をみずからのエクリチュールにおいて反復し、生きることができるのみである。残余の一切は無意味にして無価値。乞う、ご高覧―—限りなき地平へ。
— 守中高明Takaaki Morinaka (@ladissemination) 2024年8月1日
Comming soon !
— Tetsuji Yoshikawa (@yoshikawa_tetsu) 2024年8月3日
デリダ著, 守中高明訳『他者の単一言語使用――あるいは起源の補綴』 https://t.co/PpH1u2tdYV
見本がでました。今月はいつもより早く9日刊行です(ネット書店は16日ごろかもしれません) pic.twitter.com/ptxVjUFf9U
【新刊】デリダ『他者の単一言語使用――あるいは起源の補綴』守中高明訳 https://t.co/KzA8Ln6z0B
— 岩波文庫編集部 (@iwabun1927) 2024年8月8日
植民地時代のアルジェリアに生まれたデリダが、錯綜する歴史状況下で被ったトラウマ的記憶。母語の特権性と起源の幻想を打ち砕く言語の政治は、その傷に淵源する。植民地主義近代を脱構築する闘いの書。 pic.twitter.com/GHU01FReNe
デリダ『他者の単一言語使用』(拙訳、岩波文庫)の日本語圏での読解は、植民地主義帝国日本への批判を必然化する。そして母語なき言語的追放を生き、日本語で詩作を続けることで「私を培ってきた私の日本語への、私の報復」を遂げようとする金時鐘は、北東アジアにおけるデリダの「分身」である⇒ pic.twitter.com/tDjKahUoUJ
— 守中高明Takaaki Morinaka (@ladissemination) 2024年8月18日
⇒「意識の存在として居坐った最初の言葉が、私には「日本語」というよその国の言葉であったのでした」(「私の出会った人々」)――「自分の意識の関知しないところで国が奪われ、国が戻った」(「朝鮮人の人間としての復元」)⇒
— 守中高明Takaaki Morinaka (@ladissemination) 2024年8月18日
⇒この問題系に最も鋭く切り込んだ論考の一つが、四方田犬彦「金時鐘による金素雲『朝鮮詩集』再訳」(『翻訳と雑神』)である。結語-―「この翻訳は〔…〕、ポスト植民地主義という今日的問題文脈のなかで、ある本質的強度を担った事件として記憶されなければならないだろう」⇒
— 守中高明Takaaki Morinaka (@ladissemination) 2024年8月18日
⇒鼎談:金時鐘・小森陽一・守中高明「翻訳の政治学」(『思想』2002年4月号、岩波書店)も併せて紹介させていただく。帝国主義日本は現在も持続している。この明白な歴史的事実に目覚めることから、私たちは繰り返し始めなければならない。
— 守中高明Takaaki Morinaka (@ladissemination) 2024年8月18日
デリダ/守中高明訳『他者の単一言語使用』岩波文庫
— 木村哲也 (@KimutetsuHD) 2024年8月19日
想起するのは、植民地帝国日本によって、母語ではなく日本語での表現を余儀なくされた人たちのこと。
『詩集 いのちの芽』にも、朝鮮ルーツの詩人が少なくとも3人はいて、日本名を名乗り、日本語で詩を書いている。そのことの意味を考えさせられた。 pic.twitter.com/nyrw7KGYRC