英語亡国論?

http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20070227/1172537826にて知る。


【勿忘草】英語教育、なんだか亡国的にも…

02/27 03:28




 夕方の電車。人込みの向こうに、かわいらしい英語のおしゃべりが聞こえてきた。
 私など及びもつかぬ、きれいな発音だ。はてこのあたりにインターナショナルスクールでもあったかな、などとのんきに聞いていたが、ひょいと見てびっくり。ずっと英語でしゃべっていたのは、日本の学校のかばんをしょった日本の2人の男の子だった。
 悲しく切ない気分での、残りの車中となった。子供たちには、なんの罪もない。教わった英語に磨きをかけるためふだんの会話も英語ですることにしている、といったところだろうか。
 学校で習っているのか、塾に通っているのかは知らない。しかしこれは一体、どこの国の光景だ?
 小泉政権の愚策のなかでも最大のもののひとつは、構造改革特区などと称して公立小学校の教育に英語を導入させたことにあると断ずる。
 教育が国の未来を作るものであるならば、ほとんどこれは発想において亡国的であるというほかない。
 全国で、にょきにょきと英語を教える公立小学校が出てきた。その授業のもようを以前テレビで見たのだが、不愉快になって消した。
 私学や私塾であったり、家庭の方針で早い段階から英語を学ばせたい、というのならまだわかる。
 けれども、公教育の初等の段階から他国語を学ばせるとき、どんな公共社会を目指しているというのか。
 文学であれ歴史であれ、教えるべき日本語の財産は無尽蔵にある。英語のフレーズを覚えさせるくらいなら、意味なんかわからなくても万葉集の歌や芭蕉の句を暗唱させたほうがよっぽどよいと信じる。
 どうか公立学校で英語教育にたずさわる大人のみなさんには、英語を教える時間で奪われるぶんだけ、日本のすばらしさを子供たちに教えていただきたいと思う。
 思えば政権の最後の時期、訪米した小泉前首相はメンフィスを訪ね、プレスリーのものまねをしてはしゃいだものだった。会見でも英語で「ラブミーテンダー」などとやらかした。
 よい子のみんな。いくら英語ができるからといって、一国の首相がこんなまねをするのは恥ずかしいとは思いませんか。日本の古典や歴史を知れば、きっとそう思うはずだ。(河村直哉)
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/education/40949/

一読して、「悲しく切ない気分」にはなった。たった一例で「これは一体、どこの国の光景だ?」といってしまう凄さはともかくとして。帰国子女かもしれないではないか。そもそもこの一文の中の論理的な一貫性がよくわからないのだが、とにかく主旨としては、小学校で英語を教えると、国が滅びる。それは小泉前首相のような「恥ずかしい」人が生まれるからだ。しかし、小学校の段階で「意味なんかわからなくても万葉集の歌や芭蕉の句を暗唱させ」、「日本の古典や歴史を知」るようになれば、こういう「恥ずかしい」人にはならないということか。感情としては、例えばhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070122/1169471927とかhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070122/1169476750で紹介した中国における一部の動向と似たようなものなのかも知れない。その焦燥感の由来が奈辺にあるのかということは興味がある*1
さて、「意味なんかわからなくても万葉集の歌や芭蕉の句を暗唱させ」ることに別に反対ではない。しかし、だからといって「英語」をスケープ・ゴートに仕立て上げることはないだろう。また、「日本の古典や歴史を知」ることと「英語」がそれ自体で矛盾するということでもないだろう。英語を通して、(この河村という人が好きであるらしい)『万葉集』にアクセスすることだって可能なのだ。例えば、リービ英雄『英語でよむ万葉集
英語でよむ万葉集 (岩波新書)

英語でよむ万葉集 (岩波新書)

のような本を通じて。また、「公教育の初等の段階から他国語を学ばせるとき、どんな公共社会を目指しているというのか」という。そもそも「公共社会」という言葉が私の日本語の語彙にはないのだが、河村は学ばせないことによって、「どんな公共社会を目指しているというのか」ということを明示する必要があるだろう。私はできるだけ多種多様な人々に招待状が発送されるような社会がいいとは思っているが、多分それとは逆の「公共社会を目指している」んじゃないかと勝手に想像する。
ところで、Mixi方面で、かなり以前に柄谷行人氏が外国語の学習はそれ自体現象学的還元だというようなことをいっているらしいことを知ったのだが、具体的にどのテクストでなのやら。ちょうど最近読み始めたXiaolu GUOのA Concise Chinese-English Dictionary For Lovers*2を読んでもわかるように、言葉の(それも躓きつつの)習得が現象学的な経験であることはたしかだ。
A Concise Chinese-English Dictionary for Lovers

A Concise Chinese-English Dictionary for Lovers

*1:これについて今詮索することはしないが、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070127/1169860485と関連するかも知れない。

*2:Cf. http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070227/1172596850