伊吹復活?

最近政治家の失言というと、柳澤伯夫という人が大ブレイクしたわけだが、伊吹文部科学大臣が俺のことを忘れちゃ困るぜと再度舞台に出てきたというわけか。この人の言葉がメディアを賑わわせたのは去年の12月以来か*1
『朝日』の記事なり;


「日本は同質的な国」「人権メタボ」と文科相発言
2007年02月25日21時21分

 伊吹文部科学相は25日、長崎県長与町で開かれた自民党長与支部大会で、「大和民族が日本の国を統治してきたことは歴史的に間違いない事実。極めて同質的な国」と発言した。「教育再生の現状と展望」と題して約600人を前に講演し、昨年12月に改正された教育基本法に触れて「悠久の歴史の中で、日本は日本人がずっと治めてきた」とも語った。

 同法の前文に「公共の精神を尊び」という文言が加わったことについては、「日本がこれまで個人の立場を重視しすぎたため」と説明。人権をバターに例えて「栄養がある大切な食べ物だが、食べ過ぎれば日本社会は『人権メタボリック症候群』になる」と述べた。

 86年には、当時の中曽根首相が「日本は単一民族」と発言し、アイヌ民族から抗議を受けた。
http://www.asahi.com/politics/update/0225/010.html

この人は以前にも「英語」は「お菓子」だといったが*2、食べ物の比喩を使うのが好きなのかしら。精神分析的研究が望まれる。まあ、パンには「バター」よりもオリーヴ・オイルを塗った方が健康にはいいと思いますが、「メタボリック症候群」(とはいっても、これがどういうものなのかはあまりわかっていない)になるほどに「人権」を享受している人というのはどれ程いることか。
「人権」という言葉は英語でいうところの〈四文字言葉〉になりつつあるのか。「人権」という言葉にとっての華の時代は、この言葉の威力でもって〈社会主義国〉が次々と崩壊した1980年代後半から90年代前半の短い間だけだったということになるのか。
記事の前半に関しては、時間を節約するのなら馬鹿!の一言で済むのだろうし、時間をかけるのなら何時間あっても足りない。記事に引用された部分を(文脈とかを考慮することなしに)突っ込んでみると、「大和民族が日本の国を統治してきた」は「極めて同質的な国」の根拠にはならない。また、「大和民族」と「日本人」は同じではない。
古代においてどうして〈天皇〉が生まれたのかということを昔、不眠を解消するために考えたことがあった。そもそもは大王(おほきみ)と呼ばれていたのが、どうして〈天皇〉になったのか。常識的にもまた歴史学的にも中国大陸の真似の一環という辺りに落ち着くのだろう。しかし、中国大陸の模倣には還元できない、大王が〈天皇〉にならなければいけなかった国内的事情があったのかも知れないと思ったのだ。天皇は近代に至るまで、対外的には皇帝と呼ばれていたのだが、皇帝というのは多民族的・多言語的な領域を統べるものである。つまり、大王が大和国のローカルな王権から日本列島全域へと飛躍しようとするときには、そこには多民族的・多言語的な状況があったのではなかろうと。勿論、これは思弁にすぎない。