「翼賛」に「大和魂」


いつも原発に反対している人が今原発に反対してるのは平常運転だし、いつも原発擁護している人が擁護しまくるのも平常運転だし、同じような発言が一定数越えると「ファシズムコワイ、キモい」って言い出す人が今それを言ってるのも平常運転だし、普段からマスコミの悪口言ったり差別発言垂れ流したり粗探ししたり多数派叩きや社会叩きしたり粘着したりどっちもどっち教だったり言うこところころ変えたりああしろこうしろ抑圧的なこと言ってる人が今もそーゆーことしてるのも平常運転。
こわいのは、ふだんリベラルなこと言ってる人が「非常時だから細かいことはおいといて一致団結するのは当たり前」とか「役に立たない情報流すな」て言ってたり、ふだん日本の悪口を言ってる人が「日本人冷静で素晴らしい」とか美談に流されてたりすることのほう。
http://h.hatena.ne.jp/kmizusawa/225882235323868898
以下の佐藤優*1の発言は「平常運転」なのか、それとも地震波に悪酔いしたのか。どっちなのだろうか。


「国家翼賛体制の確立を!」http://news.livedoor.com/article/detail/5409634/


「翼賛」と似たようなことを以前、平沼赳夫*2が言っていたと思う*3。事態が切迫しているのだから政権に対する揚げ足取り的な批判は慎め、或いは、もうちょっと政府を信頼せよというのならわかる。しかし、この場で「翼賛」という言葉を持ち出してくるというのは、大災害のどさくさに紛れてというか、それを奇貨として何か企んでいるんじゃないかと勘繰られても仕方ないだろう。その勘繰りは全く的外れでもないようだ。佐藤はその翌日付で


大和魂菅直人首相を支えよ」http://news.livedoor.com/article/detail/5410094/


という文章を書いている。曰く、


われわれ日本人には大和魂がある。日本人が日本人であることを支えるのが大和魂だ。日本が危機に陥ったときに、われわれの大和魂が自ずから働き出す。政治、イデオロギー、経済的個別利害を超えて、危機のときに団結する能力がわれわれに備わっているから、日本人も日本国家も生き残ることができたのである。危機を乗り切るためには思想が必要だ。大和魂こそがその思想だ。危機になると自ずから働き出す大和魂の力を私は信じる。
大和魂」だよ。そもそも日本というネーションは多民族国家であり、〈大和族〉だけのものではないという反論が可能だろう。〈大和族〉以外の日本人はどうなるんだよ。佐藤の論の誤りは、そもそも〈責任〉のあり方について制度論的に思考すべきところを、そこから逃亡し、その代わりに「大和魂」というエスノセントリックな幻想を持ち出して、日本人を恫喝しているということにあるだろう。たしかに時々刻々と変化する事態に対処する際に政府の行為が〈法〉の限界を越えて、〈法外〉の領域に踏み込んでしまうということはありうる。事態の切迫から〈法〉をいじっている暇はない。さてどうするのか、という問題。〈責任〉についての議論は、事後に、事態が相対的に落ち着いた時まで先延ばししようということになるのだろう。
なお、「大和魂」の正しい意味についてはhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101104/1288889516を参照のこと。


さて、宗教的措置について、取り敢えず提案したい。先ず何よりも天皇鹿島大明神に勅使を派遣すべきだろう。それから、日本相撲協会は全力士を招集し、四股を踏む儀礼を修するべきだろう。相撲協会は国土の危機に際して無為であってはならない。これは角力の存立にとって「八百長*4などよりも遥かに重要である。