承前*1
小泉義之『病いの哲学』からのメモ;
ところで、この本の第5章で論じられているのは、哲学者ではなくて社会学者のパーソンズである。これは一見すると不可解な感じもする。しかし、「病人の生」の肯定を目指す小泉氏のプランにとっては重要な意味を持っていると思われる。これは第4章で言及される「不随意性」や「希望」と密接に関わっているのだが、これについては後日述べるかも知れない。
障害者、とくに生来の障害者は、生体として捉えるなら、何も欠けるところはないし、何も余るところはない。欠如も過剰もない。一般に、受精卵が子宮・胎盤内で発生し分化を遂げるということは、極めて困難な過程である。器官や組織や生理システムに若干の変異があるだけで、また、染色体や遺伝子に若干の変異があるだけで、流産や死産の憂き目にあう。発生過程における生物的に不出来なものは、子宮・胎盤内における強力な自然選択によって、生まれる以前に、まさに不出来の字義通りに、出来上がらずに死ぬのである。だから、この過酷な過程を凌いで生まれ出て来たすべてのものは、出来上がった完成したものとして、アリストテレスの用語では完全現実態として受け止めなければならない。付け加えるなら、だからこそ、障害を予防すると称して生殖系列を遺伝子操作しても、完全現実態として生まれるはずの受精卵を損なうことは間違いないのである。この意味で、生まれ来る障害者には何の欠陥もないのであり、そもそも障害者と呼称すること自体が間違えていることになる。障害はまさに社会的に構築された概念である(pp.166-167)。
- 作者: 小泉義之
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2006/04
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