渡辺克典「吃音・アナーキズム・国家」

承前*1


 渡辺克典「吃音・アナーキズム・国家−−大杉栄における「社会」をめぐって−−」(日本現象学・社会科学会レジュメ)


http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061202/1165082990で書いたように、ライヴでは聴けなかったが、レジュメを軽く読んでみる。
報告の主旨を乱暴に要約してみると、大杉の「吃音」ということを通して、「大杉は「社会科学」という言葉を用いて何をしようとしていたのか」(p.1)、もっと端的に言うと大杉栄にとっての「社会」とは何かということを探ろうとする試みということだろうか。面白いし、啓発もされたのだが、他方でどうもしっくりこないところもある。
大杉栄の「吃音」の思想的意味について正面から取り組んだ論者として、梅森直之がいる。しかし、梅森の提示する思想的意味というのは、大逆事件サヴァイヴァー(「縊り残された者」)としてのネガティヴな効果であるように見える(pp.2-3)。それに対して、渡辺は「吃音」のポジティヴな効果を探ろうとしているように思える。「「芸術」としての運動」という節(pp.4-6)では、「芸術」と「科学」という対立が導入されるとともに、大杉が「「理論」から演繹的に引き出される「法則」の批判に目を向け」ていたと同時に「「理論」の演繹的な側面にとらわれない科学の探究」を指向していたことが語られる(p.5)。さらに「科学批判としての吃音」という節では、大杉が伊沢修二の「楽石社」に通って「吃音矯正」を受けていたこと、「大杉が楽石社に通いながら吃音者であり続けた」ことが言及されている(pp.6-7)。曰く、


楽石社での吃音矯正は、すべての人にあてはまるという発音記号を用いているがゆえに、この型に倣えばすべての人が正常に発話できるという理論から導き出された演繹的な治療方法であった。だが、吃音矯正が一時消失にとどまってしまう吃音者とは、そこからはみでてしまう人びとである。大杉にとって、吃音者であるという自分の存在そのものが、科学の演繹的な思考がとらえられない人間であることの証左となる。つまり、大杉は吃音者であり続けることで、科学の演繹的な実践が抱え込む不可能性を示し続けるのである(p.7)。
さらに結論部では、

大杉において、吃音者とは演繹的な理解から逃れてしまう存在であり、また、そのような人びとが存在し続けることが「社会」の矛盾を提示してもいた。大杉の「社会」は、([伊沢修二の]「視話法」のような)普遍的とされる基準から不可避的に/不可逆的にはみ出てしまう人びとと形成する「社会」の可能性を構想するものだといえるのではないだろうか(pp.7-8)
と言われる。
一般項とそれによって縊られるサンギュラリテという対立が示されるわけだが、「吃音」、それも「吃音」のポジティヴな効果ということだと、「演繹」における一般項と個体との関係に先ず注目すべきではないか。成功している「演繹」においては、一般項と個体とはスムーズに結びつく。まるで、思考や意思と言葉とがスムーズに結びつくものだと思い込んでいる非「吃音者」の発話のように。すると、「吃音」がそもそも対立するのは「演繹」におけるスムーズな論理の流れに対してなのだ。「吃音」がもたらすのは非「吃音」的な発話に対する(ブレヒト的な意味での)異化効果だと言ってもいいのかも知れない。
ところで、最初の方で「他方でどうもしっくりこないところもある」と書いたのだが、それは渡辺が導入している「〈文字〉」と「〈発話〉」という対立のことである。宮武外骨が引かれ、そこから「筆」と「舌」の対立が導かれる(p.3)わけだが、「しっくりこない」というよりは論全体における意味がいまいち掴めなかった。もしこれを前段落のことと結び合わせて、さらにデリダ的な意味でのecriture/paroleと解するならば、「吃音者」にとって、ロゴスのs'entendre parlerとしての現前という明証性がそもそもarchi-ecritureによって差延されたものでしかないことは、日常生活的な実践において自明な事柄に属す。また、渡辺は「吃音」の社会的・政治的意味を巡ってミラン・クンデラ(『存在の耐えられない軽さ』)を引いている(pp.1-2)。「吃音」のポジティヴな効果ということだと、クンデラが後に小説を書く言語として仏蘭西語を選択したという事実が言及されて然るべきだったのではないかと思う。チェコ語ネイティヴであるクンデラ仏蘭西語で小説を書くことを選択したということは、或る意味で自ら「吃音者」であることを選択したということでもあるからだ。

ところで、「吃音」を巡ってはジャン=リュック・ゴダールが何か発言していたと思う。たしか『パッション』を巡るインタヴューで、そのシネ・ヴィヴァンのプログラムで読んだ記憶があるのだが、不確かである。

パッション [DVD]

パッション [DVD]