或るパラドックスの帰結(藤田弘夫)

藤田先生が逝かれたのは2009年だったか*1

藤田弘夫「空間表象から見た公共性の比較社会学――社会理論から公共性論へ――」in 『現代社会学理論研究』3、pp.16-27


論の中心からは外れた箇所なのだが。


社会学がどんな学問であるのかは議論の的となり、その学問的性格の曖昧さはことあるごとに指摘されてきた。社会学の理論は戦前には、もっぱら哲学的に探究されてきた。しかし戦後はアメリ社会学が怒涛のように流れ込んできた。これにともなって社会学理論は経験的に模索されるようになった。その際、経済学の数学を駆使した精緻な「価格の理論」は社会科学が科学的であることの証ですらあった。これに対して、社会学の理論化は遅々として進まなかった。社会学が理論というには余りに単純な概念図式しか提示できないことは批判の対象であり、時には嘲笑の的とすらなった。社会学者も社会学は「社会学者の数だけある」といって自嘲するものまでいるありさまだった。こうしたなかで、理論病患者を自認するパーソンズの構造=機能分析に社会学は大きな期待を寄せた。しかしその構造機能主義も1970年代の後半には急激に凋落していった。
ところで、社会学の学問的な曖昧さは学問的多様さでもあった。社会学の曖昧さは1970年代の後半以降の社会の変化に柔軟に対応することができた。このため日本では社会学が急速に発展することになる。社会学の曖昧さは社会学の発展への可能性となっていた。こうして社会学に大きな期待が集まるとともに、社会学研究と称する研究が急増していった。社会学の課題は社会問題を個人に外在する法則より、身近な側面から捕えていった。現今では社会学は研究というより、常識や単なる経験と区別できなものを含め膨大な数の研究が発表されている。以前、社会学は「社会学者」の数だけ多様だといわれた。しかし今日では、社会学の研究は「社会人」の数だけあるとまでいわれるようになっている。最近の社会学は社会科学の他の分野にも増して、そうした発展への志向性を強く示している。そのなかで、社会学の研究としての共通性が失われ、何が社会学の研究なのかも理解できなくなっている。しかしそのことは、現実の社会の変化の反映でもあった。(pp.16-17)