
道徳を問いなおす リベラリズムと教育のゆくえ (ちくま新書)
- 作者: 河野哲也
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2011/03/09
- メディア: 新書
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http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130528/1369714773に関連して。
河野氏はここで、マートンの『社会理論と社会構造』を参照して、「科学」を存立させる4つの「規範的特徴」を挙げる;
(前略)社会が民主主義的な価値を尊重していることは、知的創造、たとえば、科学の進歩にとって不可欠の条件である。単純に言えば、知的創造と科学の発展は、自由な民主主義社会の中において最も活発となる。民主主義教育と分離されるならば、科学教育は不可能でさえあるのだ。独裁国家で、創造的な知的活動が行われているかどうかを考えてみればよい。(後略)(pp.236-237)
「普遍主義」
「公正無私性(利害の超越)」
「系統的懐疑主義」
「共有主義」(p.237)

- 作者: ロバート・K.マートン,Robert King Merton,森東吾,森好夫,金沢実,中島竜太郎
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 1961/09/11
- メディア: 単行本
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「科学的探究と民主主義的社会の構造的類似」;
科学的探究は、テクノロジーの開発と異なり、権威主義を退け、絶えず過去からの遺産を批判的に検討し、手続さえ踏めば誰もが参加できる公共性を有している活動である。古代ギリシャにおいて、科学と哲学は区別されなかった。科学は、哲学と同じく、民主主義的な社会がもちうる知なのである。
ところで、科学的探究とテクノロジーは、「科学技術」と呼ばれ混同されやすいが、両者の深い差異にこそ注目しなければならない。
テクノロジーの本質は、すでに設定された結果(目的・価値)の効率的な達成にある。テクノロジー開発の結果が、その期待していたところと異なれば、変えるべきは自分の予測や期待ではなく、対象の方である。その反対に、科学的探究は発見された真理によって自己を変えなければならない遠心的・自己変革な活動である。科学技術史家のザイマンによれば、現代の産業化しテクノロジー化した科学活動は、マートンの指摘する科学の規範性とはちょうど逆に、「私的」「権力主義的」「請負的」「専門的」であるという(Zaiman, J.『科学の真実』東辻千枝子訳、吉岡書店、二〇〇六年)。
したがって、科学的探究が民主主義的な含意を持つのに対して、テクノロジー開発の結果主義は権威主義的な含意を持つことがある。(p.237-238)
「科学」と「テクノロジー」の区別に関しては、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080203/1202054628 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110601/1306902243も参照のこと。
(1)*2現場からのフィードバックによって、当初の理論や仮説が変更させられる可能性が開かれている。(成果によるリーダーの交代)
(2)知は絶えず更新し、永遠不滅の絶対の原理は存在しない。(反権威主義)
(3)過去の理論や仮説は誤っている可能性があるので、たえず検証にかけられる。過去の知識を乗り越え、よりよい知識を得ることが、科学的進歩である。(反伝統主義)
(4)知が信頼されるのは、追試可能な科学的手続きによって獲得されたものだからである。手続き主義、途中の過程を明示化する。(情報開示)
(5)知は絶えず更新するのだから、重要なのは、現在の知識を覚えることではなく、最新の知識にアクセスする方法を知ることである。(帰結・結論よりも過程・手続きの優位性)(pp.238-239)
See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070323/1174628115
*1:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130607/1370568210
*2:原文は丸囲み数字。