必修科目問題

最近の旬の話題というと、やはり高校の必修科目問題ということになるだろうか。全然フォローしていないのだが、報道も次々に更新されているようだし、議論も百出して侃々諤々の観がある。
発端は富山県か;


必修履修せず197人卒業ピンチ 富山・高岡南高
2006年10月24日12時18分

 富山県立高岡南高校(篠田伸雅校長、高岡市戸出町)で、地理歴史教科を選択制としたため、3年生197人全員が卒業に必要な科目を履修していなかったことが24日、わかった。同校は県教委とともに卒業資格取得のための方策を協議している。

 同校や県教委によると、学習指導要領では世界史、日本史、地理の3教科から2教科を選ぶことになっていて、世界史は必修となっている。しかし、同校では昨年春ごろ生徒から「受験に必要な教科だけにしたい」との声が上がり、昨年度は3教科から1教科だけの選択でも可能とするようにした。その結果、世界史を履修していないなど、3年生全員が卒業資格を取得していなかったという。

 県教委は全員が卒業資格を得られるよう、冬季講習などで集中的に補習を行うことなどを検討している。篠田校長は「生徒に対し、申し訳なかった。十分説明してできるだけ負担にならないよう対応していきたい」と話している。

 文部科学省によると、履修には50分の授業が70回必要で、時間数を確保できれば卒業は可能という。
http://www.asahi.com/national/update/1024/TKY200610240180.html

以下の記事では、必修科目未履修問題の背景として、「世界史必修化」と「公立学校の完全週5日制」が言及されている;

履修漏れ、世界史必修化が契機か

2006年10月28日16時45分
 高校卒業に必要な科目の履修漏れが相次いでいる問題で、多くの高校は90年代半ばか00年代前半のいずれかで、「偽装」を始めていたことが分かった。学校によって時期に若干のばらつきはあるものの、94年度から世界史が必修になったことと、02年度から公立学校の完全週5日制が導入されたことが大きなきっかけになったことがうかがえる。

 北海道立旭川北では94年度から地理歴史で必修科目の時間に別の科目の授業を始めた。福岡県立鞍手は95年度から世界史を履修させていなかった可能性があるとしている。

 履修漏れが目立つのは地理歴史だが、この94年度から、学習指導要領上、世界史を必修とし、日本史と地理のいずれかから選択して最低2科目を履修するという現在の形になった。世界史の授業をしなかったり1科目しか履修させなかったりしている高校の大半は、受験に必要ない科目を削ることでカリキュラムを受験対策へシフトさせたと見られる。

 「偽装」を始めた高校はその後、いったん減るが、00年代に入って再び増え始める。岡山県岡山城東は02年度から、滋賀県立の膳所彦根東は03年度から、進学コースの85人で履修漏れが発覚した香川県の私立藤井も03年度に始めている。

 02年度には、隔週の土曜が休みだった学校週5日制が完全実施となり、授業時間がさらに少なくなった。週6日制をとる埼玉県の私立高校の教頭は「うちは土曜日の午前を授業にあてている。受験対策を重視する学校では5日はきついだろう」と話す。いったん5日制にした後、6日制に戻した経緯がある東京都内の私立高校の教頭も「時間を工夫したいと考えて(偽装を)やってしまったのかも知れない。正直、気持ちはわかりましたね」と話している。

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 高校の必修科目の履修漏れ問題で文部科学省は28日、午前5時半現在のまとめで、履修漏れは32都道府県で計286校あったと発表した。兵庫県は調査が終わっていないため集計に含めておらず、今後、さらに数は増える見通しだ。私立は含んでいない。

 まとめによると、岩手県が31校、北海道29校、長野県28校、静岡県20校などとなっている。286校のうち284校は教育委員会へ提出されていた教育課程と異なる授業が行われていた。

 一方、朝日新聞の独自集計では私立を含めて41都道府県で400校を超えている。
http://www.asahi.com/edu/news/TKY200610280205.html

こちらの方では、世界史ではなく、「家庭科」;

今から家庭科70時間、嘆く生徒

2006年10月28日16時25分
 松山市の私立愛光高校(生徒数694人)では、3年生233人全員が卒業に必要な「家庭基礎」の授業をまったく受けていなかった。調理や裁縫などを学ぶ補習をこれから35コマ(1コマ2時間)履修する予定だが、生徒から「やらなくてもいいと思っていたのに」と嘆く声が出ている。

 同校は元は男子校だが現在も大半が男子生徒。共学になった02年度まで非常勤講師を雇い、理科の実験室などで家庭基礎を教えていた。03年度以降は家庭基礎を教える教員も置かず、物理の成績を家庭基礎に読み替え、成績をつけてきた。

 履修漏れが公表された27日、3年生には今後、教材ビデオを見ながら自習するなどの方針が伝えられた。

 他県の進学校に専用の実習室が整備されていることから、同校もようやく実習室を整備することになったが、着工は11月の予定で、実習のめども立たないままだ。男子生徒(18)は「どうせやるのなら自習でなく、ちゃんと実習をしたかった」と話している。
http://www.asahi.com/edu/news/TKY200610280213.html

昔から受験を控えた高校生の本音として、受験に関係のない科目なんかやりたくないというのはあったと思う。それなのに、何故最近になって、こういう問題が出てきたのか。「世界史必修化」とか「週休二日制」というのは根本的な問題ではないような気がする。それらは既に飛び込もうとして身を屈めている奴の背中を最終的に蹴ったという感じだろう。さらに、マクロ的(平均的)に見れば、受験、受験っていったって、昔と比べれば、大学の敷居は目に見えて低くなっている。http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20061027/1161911484経由で知った*1子安潤さんの「偽造カリ問題とは」*2でいう「新自由主義が教育に導入された結果」ということには頷きつつ、あることを思いついた。といっても、凡庸なものにすぎないが。
「受験教育偏重」とか「競争主義」というのは昔からあったわけだ。「新自由主義」が云々されるずっと以前から。また、確率論的にいえば、競争は今よりもずっと熾烈だったといってよい。多分、最近の「競争主義」、「新自由主義的な競争主義」というのは以前の「競争主義」とはかなり根柢的なところで変容しているのだ。言いたいのは、ある種の(貴族主義的といってもいいと思う)〈エリート主義〉の終焉ということである。競争に対するクールな(ゴッフマンがいう意味での)役割距離を保つこと、競争なんて下々の連中がやることでしょと競争そのものを見下すことが競争の勝者の徴であったような〈エリート主義〉の終焉。進学校に通った多くの人の回想が示すように、受験勉強、ひいては学校教育を軽蔑して、サブカルチャーやハイ・カルチャーにはまるというのが〈エリート〉としての証だった筈。そうであってこそ、〈教養〉ある〈エリート〉と勉強しかできない高学歴庶民の区別も可能になった。今回の事態が示しているのは、そのような〈エリート主義〉が完全に過去の物となったということである。「新自由主義的な競争主義」というのは競争を平民化し、(悪しき意味において)民主化したということである。

*1:なお、ここでは学習指導要領の高校必修科目に関する部分が引用されていて、参考になる。

*2:http://koyasu.jugem.jp/?eid=630