寺脇氏引退

http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20061018/1161125926にて知る。
『毎日』の記事なり;


文科省:「異色官僚」寺脇研さんが勇退

 「ゆとり教育の推進役」などと言われた異色の文部官僚、寺脇研・大臣官房広報調整官(54)が文部科学省勇退する。寺脇氏は毎日新聞の取材に、「今月中にも去ることになる。とりあえず浪人して今後のことを考える」と話している。

 寺脇氏は75年4月、東京大法学部を卒業し旧文部省に入省。職業教育課長、広島県教育長、官房審議官、文化庁文化部長などを歴任した。

 文部省が93年2月、中学校からの業者テスト追放を都道府県教委などに通知した際、寺脇氏は中心的な役割を果たした。偏差値至上主義を変えようとしたとみられ、「ミスター偏差値」とも呼ばれた。その後、「自ら学び、考える力」の育成を目指す「ゆとり教育」の旗振り役としてスポークスマン的な役割を果たした。映画評論家としても活動。広島県教育長時代には、少年時代の自殺未遂の体験を告白したこともあった。

 寺脇氏は「本来なら3月で辞めていたが、小坂憲次文科相の特命を受けてやっていた仕事があった。それが終われば、仕事は終わる」と勇退理由を語った。

毎日新聞 2006年10月17日 東京朝刊
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/gyousei/archive/news/2006/10/20061017ddm012010136000c.html

これについてのkaikai00さんのコメントを引用する;

今回は、寺脇氏が主張したことの是非は横に置いて考えてみたい。寺脇氏のようにマスコミに出てきて、文科省が考えている教育の方針などについて語ることは悪いことじゃない。マスコミに出て語ることで、教育について関心も高まるし、理解も深まる。出てきて言っていることに批判が出てくることは悪いことではない。むしろ、理解を深めたりするためには必要なことだ。

 今、マスコミに出てきて、教育基本法の改正問題やいじめの問題。教育について語る官僚はいない。様々な問題があるからこそ、文部科学省はどう考えているのかということを語るべきだ。寺脇氏のような役割を果たす人が今こそ必要だ。しかし、そういう人がこれから出てくることはないのかもしれない。

その通りなのだと思う。私は「ゆとり教育」に関しては(完全否定ではないが)批判的であった。しかし、寺脇氏の公共に身を曝す覚悟については最大限の評価がなされるべきだと思っている。
今回のことが〈教育行政〉にどのような影響を与えるのかはわからない。しかし、日本映画にとっては吉報であることは間違いないだろう。寺脇氏の天職はやはり映画、特にピンク映画の研究なのだと思う。記事には「75年4月、東京大法学部を卒業し旧文部省に入省」とあるが、だとすると、私が70年代の後半に『キネマ旬報』などで読んでいた氏の批評は既に文部官僚になってからの仕事だったのか。