ナウカ書店、それから露西亜

ナウカ書店破産という出来事はナベのMixiの日記にて知った。それで、「はてなブックマーク*1からYahooの『毎日』の記事へアクセスしたのだが、既にリンク切れ。『毎日』の方はMSNの方も既に読むことができず、ようやくキャッシュを見た。倒産が7月で記事が8月だから、仕方ないといえば仕方ないのか;


ナウカ書店:ロシア語の老舗、最後の奮闘 破産、在庫14万冊販売に元従業員全力

 ロシア語専門書店として昭和初期から洋書輸入・出版を手がけてきた老舗のナウカ書店(東京)が7月に破産し、元従業員たちが無給覚悟で在庫本約14万冊の販売に全力を挙げている。【飯島一孝】

 書店・古本屋が軒を並べる神田神保町の一角に、日本でも唯一のロシア語専門書店がある。一般にはなじみの薄いスラブ文字が目立つ書店に、夏休み中にもかかわらず、学生や中高年の客がひっきりなしに訪れている。

 今月いっぱいで閉店と聞いて駆けつけてきたという中年客は「来月からどこでロシア語の本を買ったらいいのか。いま通信販売やネット販売がはやっているが、本は手にとって見て買わなければだめだ」と話した。

 同書店と長い付き合いのある中村喜和一橋大学名誉教授(ロシア文化専攻)も「いつもロシア語やロシア関係の日本語の新刊書を置いていて、研究者にとって一種のサロンだった。今後どうしたらいいか」と嘆く。

 27人いた従業員も7月初めに全員解雇された。店舗も一時閉められたが、在庫本を処分しなければ未払いの給料や退職金が出ないため、元従業員の約半分が出社し、在庫販売に懸命だ。多くは無給という。

 約14万冊の在庫本は、ソ連時代のロシア語の原書が多いが、最近のロシア・東欧関係の書籍も少なくない。03年以前に発行されたものは半額で販売。在庫本のネット販売(http://www.nauka.co.jp/)も始めた。書店は今月いっぱいで閉鎖されるが、ネット販売は10月くらいまで続ける方針だ。

 破産管財人の桑島英美弁護士によると、数年前から続いていた給料遅配と退職金の未払いが計約7億円にのぼる。売掛金の大半は差し押さえられていて、支払いは在庫処分次第という。

 ●ナウカ書店

 東京日日新聞毎日新聞の前身)のウラジオストク通信員などで活躍した大竹博吉氏が1931年に創立。「ナウカ」はロシア語で科学の意味。ソ連からの洋書輸入の傍ら、ソ連社会主義建設を紹介する本などを出版し、36年には治安維持法違反で閉鎖。52年に現在のナウカ書店ができ、ソ連だけでなく欧米の洋書も輸入。しかし、ソ連崩壊やネット販売普及などの影響で売り上げが低迷し、数年前から資金繰りに窮していた。
Originally http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20060822dde007020064000c.html

『毎日』の記事が倒産に直面した従業員たちの奮闘記という趣なのに対して、ナベが引用していた『産経』の記事の方は、文化史・思想史の趣である;

唯一のロシア語専門書店、閉店 革命思想の退潮


 日本で唯一、ロシア語の書籍を専門に店頭販売してきた書店「ナウカ」(東京・神田神保町)が9月末、その75年の歴史に静かに幕を閉じた。最新書籍の輸入を通じてソ連・ロシア事情を日本に伝え続けてきたこの書店の歩みには、日本人がこの隣国に抱いてきた関心の変遷が刻まれている。

 ナウカ(ロシア語で科学の意)は数年前から、深刻な売れ行き不振に陥り、この7月に約29億円の負債を抱えて破産手続き開始決定を受けた。背景には、インターネット購入の普及など洋書をめぐる環境変化と、大学での履修者減少といった“ロシア語離れ”がある。

 多くの日本人が思い入れを持つロシア文学の需要は比較的堅調であり続けたものの、社会主義思想やソ連科学技術の退潮によりロシアとロシア語の魅力が薄れていく流れに抗しきれなかった。

 「ナウカ」の資料によれば、創業者の故大竹博吉氏は1917年のロシア革命から間もない19年に、極東部ウラジオストクに渡露。現地で東京日日(現毎日)新聞の通信員などを務め、帰国後の31年に同店を興した。

 英労働党ロシア革命より10年以上も前に結党され、選挙を通じて議席を増し議会で戦うという「議会主義」を当初から貫いてきたのをはじめ、左派、中道左派の政党がおおむね漸進的な改良主義を志向してきた西欧主要国の事情と比べれば、日本では「1917年」への憧憬(しょうけい)が強かった。

 大竹氏は社会主義国家建設に強い関心を抱き、この時期にマルクス・エンゲルス2巻選集など社会主義文献を精力的に紹介。しかし、36年には、当時の治安維持法により従業員を逮捕され、店舗も閉鎖に追い込まれた。

 営業再開にこぎつけたのは、サンフランシスコ講和条約が発効した後の52年。元従業員は「当時の日本人は水を吸い込む砂のようにソ連の情報を渇望していた」と振り返る。ソ連が世界初の人工衛星スプートニク」の打ち上げに成功した57年から60年代にかけ、売り上げは最高潮に達した。

 第2のピークは、80年代後半のペレストロイカ期に、「ベールに閉ざされていたソ連の姿がようやく見えるようになる」(元従業員)という期待感を背に、やってきた。

 だが、それもつかの間、ソ連崩壊で世界が一極化し日露関係の進展も思うに任せない状況から、ロシア語人口の減少には歯止めがかからなかった。

 東京外国語大学渡辺雅司教授は「思想史の読書会の後に必ずナウカに立ち寄り、ベテラン店員に教えを請うのが楽しみだった」と閉店に惜別の情を示し、「今後、ますます日露関係を担う人材が必要になるだけに、日本は英語以外の外国語やロシア研究の重要性にもっと目を向けるべきではないか」と話している。(遠藤良介)

【2006/10/19 東京朝刊から】

(10/19 02:08)
http://www.sankei.co.jp/news/061019/sha006.htm

T教授*2の感慨や如何に(爆)。
それはともかくとして、昔露西亜には文化的な何かがあったのだと思う。井筒俊彦先生に『ロシア的人間』
ロシア的人間 (中公文庫)

ロシア的人間 (中公文庫)

という本を書かせてしまうような。日本の私より上の世代の人々を特徴付けている露西亜文学への造詣というのも、その文化的何かの賜物だったのではないか。多分、私なんかの世代を境に急速にその力が落ちてしまったのだろうと思う。多分、それは社会主義の衰退とかとは関係ない。