馬鹿になること、その他

先ずは文部科学大臣の言葉。『朝日』の記事;


「菓子は余裕があれば」 小学校英語必修化を文科相否定
2006年09月29日12時46分

 「お菓子は、余裕があれば食べればいい」。必修化の是非が議論となっている小学校での英語教育について、伊吹文部科学相は、こんなたとえで持論を再び展開した。29日の閣議後の記者会見で答えた。

 伊吹文科相は「おいしいケーキや和菓子は余裕があれば食べればいい」と、小学校での英語必修化について述べた。基本的に体を維持していくうえで大切なのは「たんぱく質やでんぷん質」と、国語などの基礎教科の重要性を訴えた。さらに、それらが「十分体に摂取されてなお、余裕があれば食べればいい」と強調した。

 国際的な感覚を磨いたり、外国人に触れて文化的な違いを学習したりしている現状は是認しつつ、「アルファベットから会話を教えるというのであれば、最低限の日本語の素養をマスターしてからでいいのでは」と述べた。また、3歳まで英国で暮らした自分の子どもを例に、「(日本に)帰って1カ月たったら、全然しゃべれなくなった」とも述べた。
http://www.asahi.com/life/update/0929/005.html

「お菓子」にも「でんぷん」は入っていますけれどというのはさておいて。
小学校英語必修化」を巡るkmizusawaさんのエントリー*1へのコメントで、「もと英語教師」だというghomaさんが

外国語を学び始めるのに、13歳という年齢は最も不適切であるという指摘は自体は何年も前からなされています。私たち自身が強く感じています。思春期の入り口は、テンションとオープンさを要求する外国語教育を開始するにはむかないのです。かといって時期を早めればいいかというと、小学校のカリキュラムにどの程度のゆとりがあるかということも考えねばならず。でもま、小学校のうちは受験教育じゃーないんで、ネイティブの英語教師とちょっとしたゲームをやるとか、要するに「話せることを目的としない教育」もアリという意見も。
と述べている。その一方で、外国語習得の「臨界期」について懐疑的な見解もある*2
ただ、語学の初歩段階では馬鹿になる必要があり、ある程度歳を食うと、馬鹿らしくなって真面目に馬鹿になることができなくなるということはあると思う。語学の初歩段階というのはとにかく暗記。日本語だったら、五十音を丸暗記することが前提となるし、アルファベットを暗記していなければ英語もへったくりもないだろう。それだけでなく、基本的な例文も丸暗記。さらに重要なのは、その言語の持つ基本的なリズムや抑揚を身体化しなければならない。中国語の四声も。発音もそうだ。こうしたことに知性はいらない。というか、いちいち考えていたら、舌が縺れてしまうし、身に着かない。ある程度大人になって、それなりに知識なんかも増えてくると、真面目に馬鹿になれなくなるということはあると思う。但し、初歩の段階を越えたときに、まだ馬鹿の儘だと、それ以上の上達は難しくなるということはあるが。
小学校で英語をやるかどうかというのはどちらでもいいと思っている。中学校からでもいいんじゃないかとも思っている。それは何故かというと、国語も理科も社会も小学校からあるし、数学と算数は連続している。これらの科目は小学校からの蓄積がものをいうわけだ。それに対して、英語は取り敢えず零から始めるので、小学校のときに成績が不振だった子どもも、小学校時代の柵がない英語で捲き返すことが可能だろうと思うのだ。以前、渡部直己氏が長嶋茂雄の言葉遣いには〈中学1年1学期〉的な悦びの痕跡があると言っていた。
英語に限らず、外国語というのは家庭内がマルティリンガルな環境であれば、門前の小僧は習っていないお経を読み出すものだと思う。親のどちらかが外国人である場合は勿論のこと、家に洋書が蔵書としてあったりとか外国人の客人がよく家を訪ねたりとか。Mr_Rancelot*3は階層差の問題を採り上げているが、そうしたマルティリンガルな家庭環境はちょうど社会の上と下に拡がっていて、そこから基本的に疎外されているのは社会の中層だということに気付く。米国の場合だと、下にバイリンガルな移民労働者がいて、真ん中に英語しかできない普通の米国人がいて、上の方に仏蘭西語や日本語や中国語を操るエリートがいるということになる。
ところで、学校の正課としてやるにせよ、親に英語学校に行かされるにせよ、マルティリンガルな家庭環境があるわけでもない小学生の場合、学習を支えるモティヴェイションというのはどうなるのだろう。中学生のように受験というプレッシャーがあるわけではない。語学をやるというのは、例えば韓流ドラマにはまって韓国語、香港映画にはまって広東語、ボサノヴァにはまって葡萄牙語というように、何らかの外の文化への関心から始まることが多いのではないか。とすれば、小学生のうちは先ずは日本の外への関心を喚起することの方が先なのではないかと思うが、如何だろうか。