中国語と「音痴」

大坂洋さん曰く、


学部のときは、まだほとんどの学生が第二外国語にドイツ語をとっていた時代だったのだが、「中国語は単位がとりやすい」という噂にまどわされて、中国語をとった。私の大学の中国語は中国語Aと中国語Bがあって、中国語Aを日本人の教師が、中国語Bが中国人の教師が担当していた。中国語Aの先生は発音にきびしい人だった。「音痴は中国語ができん」などと、いまどきの授業評価アンケートなんかあったら全員からD確実な方だった。

とりわけ、彼は中国語のpとbの発音にうるさかった。中国語のpとbは破裂音ではなく、破裂させずに発音しなくてはならないのだ。アメリカ人とかイギリス人とか子音が日本語より強く発音するが、中国人の発音のpとbはその逆に「ぶっ」とか「ぴっ」とかいう音がでないそうである。(タモリの4ヶ国語マージャン参照)それで我々はpとかbとかの入った文章を読まされるたびに「ぷっ、ではないぶううー,だ」と怒られるのだ。
http://d.hatena.ne.jp/osakaeco/20070524/p1

pとb、tとdとかはあまり気にしなくてもいいと言われたのだが、「音痴」だと困るのは中国語の声調だろう。とはいっても、中国語のネイティヴにも「音痴」は沢山いるわけだが。ミュージシャンのファンキー末吉氏は中国語の四声をメロディとして分析し、たしか楽譜に書いて覚えたといっていた気がする。逆に、中国語の文章を譜面化して、ピアノの伴奏で発音練習すれば、すごく効果があがるんじゃないか。
ところで、日本語のアクセントもストレスではなくトーンなので、メロディは関係する。しかし、日本語に限らず、中国語に限らず、ある言語らしさを強く印象づけるのは各言語特有のリズムだろう。日本語のネイティヴでなくとも、文法・語彙・修辞といった各側面で、ネイティヴ並み或いはネイティヴ以上の日本語を喋ったり・書いたりする〈外国人〉は沢山いる。例えば、「慧眼」と「謦咳」*1を混同したりしない中国人や英国人は掃いて捨てる程いるといってよかろう。しかし、そうであっても、東京訛り、大阪訛り・福岡訛りといった〈訛り〉とは違う外人っぽさを感じさせてしまうのは何かといえば、リズムである。日本語の場合だと、全ての音節を原則として同じ長さで発音することから醸し出されるリズム。これを身体化していただかないと、〈日本語〉っぽくはならない。これを教えるのは、文法とか語彙を教える以上に難しいのだろう。或いは、母語というのはそもそも特有のリズムとして身体に刻み込まれ、長らくリズムとして生きられるといえるだろう。話を戻せば、このようなリズムを身に着けていただくのは、語学の初歩の初歩の段階なので、それを理屈として説明するのは不可能である。昔、ホワイト・ボードに四分音符を書いて示したところ、その時の韓国人の学生は、身に着いたかどうかはわからないが、納得してくれたようだった。これだと、長音はタイを使って示すことができるし、促音は休符で示すこともできる。日本語に限らず、語学教育に楽譜を導入するというのは有効だと思うが、どれほど実践されているのかは知らない。