愛国心から脱線して

最近、「左翼」と「愛国心」というテーマの記事が多いような感じがする。例えば、


http://d.hatena.ne.jp/kmizusawa/20060924/p1
http://d.hatena.ne.jp/kechack/20060918/p1
http://d.hatena.ne.jp/good2nd/20060918/1158591565
http://d.hatena.ne.jp/sean97/20060924


どうも問題になっている〈国〉、日本というのがよく分からない。愛国心という場合に問題になる〈国〉というのは現実存在としての〈国〉ではなく〈国体〉とか〈国粋〉という本質存在なのであって、本質存在というのは定義上直観不可能なものであるので、わからないのも当然かも知れない。もしかしたら、それは私が真っ当な〈左翼〉ではなくて、ブルジョワ的・封建的頽廃思想・文化に汚染された小ブル的亜インテリにすぎないからかも知れない。


プロレタリアート独裁の社会主義日本を愛し、ブルジョワ的・封建的な日本を憎む


というのが40年前だったら模範解答だったかも知れない(真相は知らないけれど)。話を戻すと、直観不可能である以上、〈国〉というのは想像されなければならない。或いは、だからこそ、国旗とか国歌とか現人神といった可視的或いは感覚可能なシンボルが必要だと言われる。しかし、〈国〉、その本質を想像しようとしても、想像すればするほど、その本質は外部的なものが浸透したものとして現れてくるわけだし、その外部的なものを汚染として除去しようとすれば、その本質は限りなく痩せ細ってくる。シンボルについていえば、シンボルとしての日の丸、「君が代」、天皇、これらは私の臆見にとっては、日本という〈国〉と一対一的な或いは排他的な対応関係は結ばない。例えば、日の丸にしても、それを幾何学的に還元すれば、その中央に円形を含む長方形ということになる。このパターンの旗というのは世界中に沢山ある。つまり、日本への愛などではなく「その中央に円形を含む長方形」という幾何学的秩序への愛着から日の丸を愛することも可能だ。勿論、だからこそ、そこに〈教育〉が介入してくるわけだ。アナーキーに増殖しようとする意味作用を抑制し、一義的な〈政治的に正しい〉対応関係を押しつけること(意味論的少子化?)。
直観不可能で想像の共同体、実は〈国〉だけではない。実際、〈国〉がいちばん重要な想像の共同体というわけではないだろう。多分、私たちが生きる上でいちばん重要な想像の共同体は言語とマネーである。それはさておき、私たちが関与している想像の共同体として先ず思いつくのは、宗教であり階級でありジェンダーだろう。或いは、学問という共同体、様々なファンの共同体。セクシュアリティとか障碍や疾病だって、想像の共同体が存立する契機となりうる。私たちが社会的に生きているということは無数の想像の共同体に積極的・消極的に関与しているということなのである。多分、ナショナリズムというのは、これら無数の想像の共同体を〈国〉という特権的な想像の共同体に包摂し、従属させようという思想や実践のことをいうのだろう。勿論、そのような意味でのナショナリズムを肯定することはできないし、またその他の想像の共同体だって、ナショナリズムと同様の、或いはそれ以上の抑圧性を示すこともあるのだ。
無数の想像の共同体の存在(可能性)を示すことは、〈国〉を相対化することに繋がる。では、共同体それ自体を相対化するには? あらゆる共同体の外部を示すこと。しかし、そんなことは不可能であって、せいぜいユートピアとして間接的に仄めかすことができるだけであろう。或いは、共同体と共同体の間の隙間で奇跡的にしかし瞬間的に現前することはあるかも知れない。しかし重要なのは、共同体がこのあるかないかもわからない外部と常に自己否定的な関係を保っているかどうかということであろう。
ところで、http://d.hatena.ne.jp/kechack/20060918/p1のコメント欄に、


# sunafukin99 『私(昭和30年代後半生まれ)なんかの若い頃は反左翼というのは共産主義の抑圧体制へのアンチテーゼとしてのものであり、当時のソ連や中国もちろん北朝鮮もそうですが、それらの国のありようが「戦前の日本」を髣髴とさせるものがあったために、むしろ共産主義=自由や民主主義の抑圧=戦前日本的、自由主義=自由や民主主義の尊重=戦後日本的、というイメージで捉えていたように思います。これは世代によっても定義は全然違ってくると思うのですが。私の世代はちょうど冷戦体制後期にあたり共産主義体制の矛盾がすでにあちらこちらで噴出していて、事実上崩壊へ向けて走り出した時期に多感な時期を過ごしたわけです。そこでは戦後的価値=自由な民主主義体制擁護的なものとして受け取られていて、共産主義軍国主義同様「全体主義」として人括りにされていたような印象があるんですよね。ざっと言えばこんな感じですが、同じ反左翼と言ってもそこに至る動機の点で当時と今はかなり質の違いを感じます。(今は自民党保守本流も左翼扱いですからね。昔はありえなかったですよ。)「極度な左傾化」というのは戦後のいつ頃のことを指すのかはよくわからないのですが、私なんかのローカルな感覚では周囲に左傾化した人はあまり見かけなかったように思います。保守的な地盤のせいもあるか知れませんが・・・。』
という意見があった。40%くらいは同意するところがあって、私も「共産主義」に「戦前日本的」なものを感じてはいた*1。且つ、右の方に「ソ連」的なものを感じてもいた。また、私が左翼的なものに惹かれたのは、真っ当なルートからではなく、ゴダールの映画とか米国のヒッピーとか英国のパンクとかからだったというのはあるけれども。ただ、事実として、1960年代以降に左翼になった人たちの多くは、「ソ連や中国」があったから左翼になったのではなくて、「ソ連や中国」があったにも拘わらず左翼になったということは確認しておいた方がいいだろう*2。日本に限っても、また国際的に見ても、ハンガリー革命に対するソ連の侵略と弾圧が〈新左翼〉なるものを生み出す契機のひとつになった。その一方で、左翼の中の大きな傾向として、現実に存在するかも知れないユートピア探しへの填り込みがあったということも指摘しなければならない。蘇聯に絶望した人は、次いで中国やキューバに希望を見いだし、それにも失望すると、今度はアルバニアとか北朝鮮ユートピアの候補地となる。そのユートピア探しが現実に行き詰まったというのは、ちょうど冷戦の末期から崩壊にかけてと重なるのではないか。

*1:現在でも、多くの年配の日本人が北朝鮮から連想するのは戦時中の日本だろう。

*2:ただ、具体的な団体名を挙げれば、「社会主義協会」とか「民主主義学生同盟」のように蘇聯マンセーな人たちもいたのだが、どうしてそういうのが一定の人たちを惹き付けることができたのかということは、個々のメンバーのライフ・ヒストリーにまで立ち入って検討しなければならないようだ。