ノーベル賞も? など

承前*1

http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou/e/c6189a5e48ab7787b098249deccf7df9


こういうのを読むと、「日本人の心の荒廃への危惧」という「道徳教育をすすめる有識者の会」や産経の認識を共有したくもなる。
曰く、


しょせんノーベル賞なんか、ユダヤ陰謀組織の配下の者へのご褒美か、世界中の人々をまやかしの研究に目をむけさせるために方策に過ぎない、ということが分かっている人は少なかろう。
 化学賞をもらった下村脩氏は、なんとフルブライド留学生であったし、南部陽一郎氏も国外逃亡組の一人である。みんなユダヤ組織に忠誠をつくしてきた連中だ。
 南部陽一郎氏は米国籍を取得しているのだから、日本人のうちには入るまい。下村氏も米国在住でやってきたのだから、アメリカで褒めてもらえ。

 私は野球選手もそうだが、研究者がアメリカに留学や仕事を求めて行くことに嫌悪感を持っている。なんであんな学問のない、戦争ばかりやっていて、他国を植民地にして平気で、黒人やらヒスパニックやらを差別し、世界中から顰蹙を買っているアメリカなんかに嬉々として赴くのか、気が知れない。日本を幕末に脅して開国させ、やがて第二次世界大戦にひきずりこんで原爆やら都市空襲をやってのけたケダモノだ。
 だから南部氏も下村氏も、嫌な顔になっている。何か心中に含むものがあるような、能面のような無表情の割に意固地でいじけたココロが透けて見える気がしてならない。これは異国でいたぶられたせいか、ユダヤの配下になった自分に自虐的になってン十年経過して、おかしくなったのか…。

まともな論評としては、http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20081010/1223628553とかを読んでいただくとして、またこの人物とは対照的な「現代の長安」としてのアメリカ論として、http://d.hatena.ne.jp/michikaifu/20080925/1222364311を読んでいただくとして、「南部陽一郎氏は米国籍を取得しているのだから、日本人のうちには入るまい」という部分を採り上げてみたい。実は、この文は正しいと思う。中国のメディアでは「美籍日本人」とか「日裔美国人」という表現がされている。南部氏が米国国籍を取得していることを隠蔽することも、この人のように米国国籍を殊更に強調することも、或る共通性を持っている。つまり、どちらにおいても「日本人」は日本国籍を有した日本国民として定義されているわけだ。つまり、エスニシティとしての「日本人」には無関心だということである。そうした意味で国家主義者なのだが、また、私たちが国民国家以外の想像の共同体に常にコミットしているということ、それらの共同体は国民国家からは(少なくとも原理的には)独立しているということ*2を理解できないという意味でも、国家主義者であるといえる。野球という想像の共同体にコミットする者にとって、〈国境〉は日本とか米国の間に引かれているのではなく、(例えば)野球とサッカーの間に引かれているわけだ。物理学という想像の共同体にコミットする者にとっては、日本/米国という区別よりも物理学/化学、理系/文系といった区別の方がはるかに重要な意味を有する。
勿論、米国のアカデミズムについては、真っ当な(知識社会学的)批判が必要であるというのは言うまでもない。そういえば、ハーヴァード・ビジネス・スクールについて、「25歳そこらの若者が「世界中のすべての問題をキミたちが解決できる、世界を変えるのはキミたちだ」と吹き込まれ、米国資本主義の担い手として巣立っていく」*3場所だという指摘があった。