承前*1
祝復活のmojimojiさんのところ*2で知る。小泉(今のところまだ)首相のコメント;
そのオリジナルがそもそも非論理的なのか、新聞記者の纏め方が悪いのかわからないが、この記事を読んでも、意味すなわちwhat he wanted to sayがわからないのだ。
<国旗国歌>小泉首相が違憲判決に疑問小泉首相は21日、入学式や卒業式で日の丸に向かっての起立や君が代斉唱を強制したことを違憲とした判決について「法律以前の問題じゃないでしょうかね。人間として、国旗や国歌に敬意を表すというのは」と述べ、疑問を投げかけた。思想・良心の自由については「裁判でよく判断していただきたい」と述べるにとどめた。
(毎日新聞) - 9月21日21時13分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060921-00000137-mai-pol
勝手にいわせていただければ、たしかに、「思想・良心の自由」のような憲法的に保証された権利というのは「法律」以前の権利であろう。また、「法律」以前的な権利を具体的にその侵害から護るために「法律」があるといえる。「敬意を表す」or notというのは〈心の問題〉といえるが、靖国問題を巡って、小泉氏は〈心の問題〉というのは「法律」どころか一切の批判を超越するというスタンスではなかったか。
それから、『産経』の社説;
一読して感じたのは、〈ジェンダー・フリー〉をバッシングするのと同様な心情的なロジックが流れているなということである。それから、「自民党新総裁に選ばれた安倍晋三氏は「公教育の再生」を憲法改正と並ぶ大きな目標に掲げている。そのような時期に、それに水を差す判決が出されたことは残念である」というのも凄い。三権分立とか司法権の独立というのを否定してしまっているわけだから。
平成18(2006)年9月22日[金]
■【主張】君が代訴訟 公教育が成り立たぬ判決
都立高校の卒業、入学式に向け、教職員に国歌斉唱などを義務付けた都教委の通達をめぐり、東京地裁はこれを違法と判断し、都に賠償を命じた。これでは、公教育が成り立たない。
判決によれば、「国旗と国歌は強制ではなく、自然に国民に定着させるのが国旗国歌法や学習指導要領の趣旨だ」としたうえで、「それを強制する都教委の通達や校長への職務命令は、思想良心の自由を侵害する」とした。さらに「都教委はいかなる処分もしてはならない」とまで言い切った。
国旗国歌法は7年前、広島県の校長が国歌斉唱などに反対する教職員組合の抵抗に悩んで自殺した悲劇を繰り返さないために制定された。当時の国会審議で、児童生徒の口をこじあけてまで国歌斉唱を強制してはならないとされたが、教師には国旗・国歌の指導義務があることも確認された。指導要領も教師の指導義務をうたっている。
東京地裁の判決は、こうした審議経過や指導要領の趣旨を十分に踏まえたものとはいえない。もちろん思想良心の自由は憲法で保障された大切な理念であるが、教育現場においては、教師は指導要領などに定められたルールを守らなければならない。その行動は一定の制約を受けるのである。
従って、都教委が行った処分は当然である。東京地裁がいうように、いかなる処分も行えないことになれば、教育現場が再び、混乱に陥ることは確実だ。広島県で起きた悲劇が繰り返されないともかぎらない。
裁判長は「日の丸、君が代は、第二次大戦が終わるまで、軍国主義思想の精神的支柱だった」とも述べ、それに反対する権利は公共の福祉に反しない限り保護されるべきだとした。これは一部の過激な教師集団が国旗・国歌に反対してきた理由とほとんど同じだ。裁判所がここまで国旗・国歌を冒涜(ぼうとく)していいのか、極めて疑問である。
自民党新総裁に選ばれた安倍晋三氏は「公教育の再生」を憲法改正と並ぶ大きな目標に掲げている。そのような時期に、それに水を差す判決が出されたことは残念である。小泉純一郎首相は「人間として国旗・国歌に敬意を表するのは法律以前の問題だ」と語った。各学校はこの判決に惑わされず、毅然(きぜん)とした指導を続けてほしい。
http://www.sankei.co.jp/news/060922/edi000.htm
また、「認識も論理もおかしな地裁判決」と題された『読売』の社説*3。「認識も論理もおかしな」社説でした。〈悪しき民主主義〉――これを読むと、〈民主主義〉というのはよくないものだと思ってしまう人もけっこういるのではないか。