法律で決めるということ

日の丸や君が代についてはhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060921/1158852793 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060922/1158949723 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060926/1159279010 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060927/1159324955 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060927/1159360317 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061119/1163954023 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061122/1164224217 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061128/1164736520 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070715/1184517085 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080405/1207330643 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090624/1245814603 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090824/1251123952 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090911/1252693890 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20050711 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060529/1148917245 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060529/1148917245 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060530/1148955897 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060531/1149041720 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060921/1158852793 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060922/1158949723 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060925/1159211913 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060927/1159324955 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061011/1160538053 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061104/1162662257 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061122/1164224217 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070323/1174618782 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070619/1182247402 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070715/1184517085 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070830/1188496599 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090505/1241465473 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090921/1253535876 でも言及しているのだった。
さて、


酒井英禎「左翼は「国旗意匠変更運動」をせよ」http://d.hatena.ne.jp/elm200/20110610/1307875742


「左翼」は「国旗を軽視するのではなく、意匠変更運動をすべきだ」という意見。〈ひのきみ〉の強制に反対している人というのは2通りあるのだろうと思う。一方ではここで述べられているように〈ひのきみ〉が軍国主義天皇制を背負っているから駄目だという立場がある。他方では国民国家という想像の共同体への同一化を法的に強制することに対して批判的であるという立場がある。私は後者だな。仮令日の丸がカマトンカチ*1になったとしても、君が代が〈民が代〉になったとしても、強制は嫌だ。但しその一方で、〈ひのきみ〉ファンの日の丸を掲げて君が代を歌う自由は尊重しなければならない。「国旗意匠変更運動」が行われて国歌・国旗が変わったとして、〈ひのきみ〉に愛着を持つ人たちがこんなの国旗じゃねぇとか言って〈拒否〉をしたら、どうするのか。
酒井氏は「国旗や国歌に対しては敬意を表すべきだよ」という。「敬意」というと内面に踏み込んだ表現であり、話がややこしくなる。一般的に〈無礼〉ではない態度ということになるか。しかし、〈礼儀〉は法に基づいて強制されるものではない。というか、礼儀と法ではサンクションのされ方が異なる*2。礼儀のサンクションは侮蔑によって行われる。例えば白い目。様々なTPOにおけるドレス・コードを守ることができない人間は無教養な田吾作として侮蔑され、白い目を浴びることになる。勿論、その侮蔑の視線を撥ね返すことができる人はファッションにおけるイノヴェーターになれるわけだが。
国旗や国歌に対する態度を法によってコントロールしようとすることの問題。それを法律で強制できるということは、逆にそれを法律で禁止できるということでもある。民主党自民党の無能ぶりのどさくさに紛れて日本に極左政権ができ、〈ひのきみ〉を一切禁止する法律を制定してしまうと仮定しよう。一旦国旗や国歌に対する態度を法によって強制することを認めてしまった以上、逆方向の法的なコントロールに対して、〈ひのきみ〉への自由を擁護する余地はなくなってしまうのだ。それでもいいのか。
ところで、田中伸尚『日の丸・君が代の戦後史』によれば、〈ひのきみ〉ではなく新しい国旗・国歌をつくろうという運動は戦後なかったわけではない。

日の丸・君が代の戦後史 (岩波新書)

日の丸・君が代の戦後史 (岩波新書)

*1:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100418/1271571481

*2:サンクションにはポジティヴなサンクションとネガティヴなサンクションがあるが、ここでは後者についてのみ言及する。