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どうしてまたS氏の指先から「黒田寛一」という文字が打ち出されたのかと訝ったら、これだったのか;


革マル派の最高指導者死亡  黒田寛一・元議長

 過激派「革マル派」の最高指導者だった黒田寛一元議長(78)が6月下旬、埼玉県内の病院で死亡していたことが10日、関係者の話で分かった。

 関係者によると、黒田元議長は1963年、日本革命的共産主義者同盟革共同)が分裂して、革マル派が結成されて以来、議長を務めていた。

 「クロカン」の通称でも知られ、同派の理論的指導者として執筆活動を続け、96年に開かれた同派の政治集会で議長を退くことを表明したが、詳しい消息は長年不明だった。

 議長辞任後も最高幹部として組織を指揮し、絶対的な存在だったとされる。
(2006年08月10日 11時44分)
http://www.tokyo-np.co.jp/flash/2006081001000917.html

この記事でいう「関係者」というのは、

<元革マル最高幹部>黒田寛一氏死亡 公安当局の調べで確認

 過激派「革マル派」の最高指導者、黒田寛一元議長(78)が今年6月下旬に埼玉県内の病院で死亡していたことが、公安当局の調べで分かった。黒田元議長は同派が結成された1963年から最高幹部で議長を務めた。96年の政治集会で、議長を退くことが表明されたが、その後も最高指導者として組織を指揮していたという。
毎日新聞) - 8月10日12時10分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060810-00000046-mai-soci

と照らし合わせると、「公安当局」のことだったのか。
川口大三郎君の恨みを思い知れ」*1というタイトルを発見。
そういえば、最近荒岱介氏の黒田寛一批判*2というのを読んだばかりだったのだ。曰く、

 コミンテルンスターリン型の体系では、エンゲルスの『反デューリング論』や『自然の弁証法』から引っ張った「物質」を基本エレメントとして体系知を構築することが、イデオロギー的な基軸に据えられていました。この体系は「歴史的なものは論理的であり、論理的なものは歴史的である」とするヘーゲル的な「歴史=論理」の考え方でもありました。ヘーゲルのコギトを「物質」に置き換えたようなものです。ここから、全世界の資本主義は各国とも同一の発展過程をたどっていくという、資本主義発展一元史観などが導かれていきます。

 こうした歴史と論理が符合していて整合的に進むという考え方に対して、宇野弘蔵の原理論―段階論―現状分析という考え方を援用するなどして、新左翼は異議申し立てをしようとしたわけです。ただその際に、日本ではかなり特異な状況がありました。1950年代革共同黒田寛一新左翼のイデオローグだったわけですが、彼はコミンテルンに代わる新しい理論的体系化を行い、新左翼理論を体系化する試みを行おうとします。そのことでコミンテルンの体系知とはちょっとだけ異なる、しかしやはり「物質」をキイワードにした体系知が、日本の新左翼運動を覆うことになってしまったのです。こうした動きに対し、「弁証法的理性を有した物質の自己運動論」のような体系としてマルクス主義を考えるのは、そもそも問題の設定の仕方が違うんじゃないかということから、20代だったぼくはイデオロギー的な作業を開始します。

 宇野の原理論―段階論―現状分析の考え方を、資本論帝国主義論―現代過渡期世界論として適用し、戦略―戦術を導く方法を確定しようなどとしたわけですが(『過渡期世界の革命 改訂版』1972)、もっと根本のプラットフォルマとしての唯物論理解においては、黒田哲学への強い違和感を唱えたわけです。黒田は弁証法的理性を有した物質が自己運動し、天体史、生物史、社会史として弁証法的に発展してきたと主張しました。しかしそもそもそんなことをマルクスは論じているのかということです。

 黒田はエンゲルスの『反デューリング論』や『自然の弁証法』から引っ張っています。つまりコミンテルンスターリンを踏襲しているのです。しかしマルクスや、あるいは初期のエンゲルスが『ドイツ・イデオロギー』などで述べていた内容は、この世の森羅万象のすべてを言い当てる体系知ではなく、唯物史観という一つの歴史観だけなのです。


イギリス労働党のブレーンであるギデンズが「サイバネティック・モデル」と指摘していることですが、共産主義者は社会なり自然なりについての知識を深めれば深めるほど、人間は法則性を法則として認識し、その法則を利用して世界を制御できると考えていました。スターリンの法則利用論に見られるように、その結果設計主義的に共産主義社会を創り出せると考えたわけです。

 そして黒田寛一が主張した哲学は、この「サイバネティック・モデル」と体系としては同じです。黒田は法則は利用できないとかは言っています。しかし天体史から生物史、社会史のすべての歴史が「弁証法的理性を有した物質の自己運動」だというのです。その場合、そこではかかる体系知を認識している前衛と、それを認識していない大衆という図式にもなります。それで自分達こそが真理の会得者となり、他党派や大衆に対してきわめて検察的になったり、糾弾的、弾劾的になっています。その真理を世界に押し広める運動が革命的マルクス主義だということなのです。

 日本の新左翼運動に革共同両派に見られる前衛同士の内ゲバが起きたのは、正しい理論=真言を理解しているのは唯一自分たちだというスタンスのせいです。そこでは、それぞれの党派が理念崇拝者として「哲学の党派性」を守ろうと宗教戦争をやったのです。