親密性を可能にするものだが


セックスでは、普段は他人に見せない部分をパートナーに露わにする。裸体や性器といった物理的に見せない部分だけでなく、どのような快楽を自分が好むのか、そしてその快楽に対して自分がどう反応するのか、性的嗜好に関することは、第三者には決して露わにされないが、パートナー間でははっきりと相手に示される。

別れた相手であっても、性的嗜好を暴露するのはマナー違反だと考えられる。セックスにおいては、「第三者には見せられない自分をあなたには見せるが、秘密にしておくように」という、暗黙のルールが課されるのだ。
http://yuu.cocolog-nifty.com/ren_ai/2006/02/post_6e6c.html

これは性的関係のみならず、親密性一般に当嵌まることだろう。たしかに、こういう規範が相互に諒解されていない限り、私たちは親密な関係に寛ぐことはできない。また、重要なことは、上の引用に示されているように、その規範の拘束は親密な関係が終了したり破綻したりした後も続くということである。私たちはこのような不自由を相互に引き受けることを代償に、親密な関係で寛ぐことが可能になる。
勿論、DVを初めとする暴力が隠蔽されるのも、この規範と関係しているといえる。親密な関係に於ける、親密性の名の下に於ける暴力は、例えばフェミニズムがずっと問い続けてきた問題であり、以前取り上げた福祉施設に於けるハラスメントの問題などとも関わる問題だが、ここではこれ以上の言及は避ける。ただ、親密性の名の下に於ける暴力を被った者が〈守秘義務〉を廃棄して、自らの被った暴力を告発するという場合、告発者はパートナー(加害者)の秘密と同時に自らの秘密を暴露するということになり、決して無傷ではありえないということは述べておいた方がいいだろう。