神聖にして侵す可からざるものを侵す

NHKの報道;


30代妊婦に性的暴行の疑い 婦人科院長逮捕 容疑認める
2020年1月23日 11時46分


東京 足立区にある婦人科の医院の院長が診察に訪れていた30代の妊婦に性的な暴行をしたとして逮捕されました。警視庁には同じような被害の相談が複数寄せられているということで関連を調べています。

逮捕されたのは東京 足立区江北の「矢追医院」の院長 矢追正幸容疑者(55)です。

警視庁によりますと、去年11月、医院の個室で診察に訪れていた30代の妊婦に性的な暴行をした疑いがもたれています。

これまでの調べによりますと、矢追院長は女性と2人きりで診察室にいたところ、マッサージなどで使う別の個室に移動させ、ベッドに横たわらせて体を触るなどしたということです。女性は診察後、近くの交番に相談し、警視庁が捜査を進めていました。

調べに対し、「間違いありません」と容疑を認めているということです。

警視庁には同じような被害の相談が複数寄せられているということで関連を調べています。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200123/k10012255841000.html

性犯罪が犯罪であることの前提。私たちは自身の身体を神聖不可侵なものとして認識している。しかし、その不可侵性が一時的に解除されるときがある。一つは言うまでもなく性的な親密性において。〈身体を許す〉というのはなかなか含蓄のある表現だ。もう一つは医療という文脈においてであろう。病気とか怪我といった情況において、医師や看護師という有資格者が行う治療のための医療行為において、不可侵性は解除される。無資格者が自称医療行為を行ったら、それは強制わいせつになってしまう*1。上に報じられた院長の行為は先ずこうした特権の濫用であり、医療という制度を存立させる〈医師-患者関係〉が成立する条件である信頼関係を破壊したといえるだろう。
ところで、個人の身体の神聖不可侵性について、法哲学とかでどのような議論が行われているのかということについては寡聞にして知らない。私が念頭に置いていたのは、エドワード・T・ホールの人類学的空間論(例えば『かくれた次元』*2 )である(汗)。
かくれた次元

かくれた次元

*1:外科手術をやったら、傷害罪。

*2:Mentioned in https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20090805/1249468542