基督裁判

 宗教関係のトピックが続きます。
 なんばさん*1が紹介されていたのですけど、


法王の言葉にも著作権「印税かける」法王庁が新方針


 これまで自由に引用されてきたローマ法王の言葉や文章の著作権をはっきりさせ、印刷した本などに印税をかけるという法王庁の新方針が25日までのイタリアの報道で明らかになった。

 25日はベネディクト16世が就任後初の信者向け書簡(回勅)を発表する日で、この内容も対象。バチカン周辺からは「法王の言葉の商品化」(ANSA通信)、「聖職者と金を連想させる悪い効果しか与えない」(作家メッソーリ氏)との批判や、「布教に協力してきたのに今さら…」と負担増を嘆く出版社の声が聞こえる。

 著作権の対象は、回勅、サンピエトロ広場での毎週日曜の祝福など法王の言葉と著作。印税額は本の価格の3−5%で、バチカン出版局が一元管理する。

 前法王ヨハネ・パウロ2世は自伝など数多くの本を出したが、法王に「収入」は認められていないため、出版社が寄付の形で金銭を渡していた。寄付の使途は、修道院の維持や教会の修復など、その都度決められ、著作権についての議論もこれまではなかったという。(共同)

ZAKZAK 2006/01/25
http://www.zakzak.co.jp/top/2006_01/t2006012531.html

まあ、〈右傾化〉ということですね。copyleft からcopyrightへ。
 ところで、


 Associated Press
“Existence of Christ argued in courtroom” Shanghai Daily 28-29 January 2006


伊太利の「無神論者」Luigi Cascioli氏がある町の教区司祭Enrico Righi師を訴えたのだが、Cascioli氏によると、”the Roman Catholic Church has been deceiving people for 2,000 years with a fable that Christ existed.”ということである。具体的には、司祭は2つの法を侵しているという。先ず、”abuse of popular belief”、次いで”impersonation”、つまり”gains by attributing a false name to someone”ということ。
 記事では、ChristとJesusを同義で使っているのだが、この2つは意味は同じではない。後者はたんなる男の名前だが、前者は救世主ということである。後者が歴史学的・文献学的な実証によってけりがつきうる問題であるのに対して、前者は神学的にしか解決し得ない。Cascioli氏は”the European court of Human Rights”にまで持っていくつもりらしいが、
Enrico Righi師側の主張のように、Jesusという弟子集団を形成していた宗教家が実在したということは、今のところ、歴史学的・文献学的には動かしがたいだろう。また、Christの実在問題については、世俗的な裁判所が扱える筈はない。Cascioli氏は、Jesus非実在のどのような積極的証拠を用意しているのか。こちらの方が興味深い。