既に言葉は私(のもの)ではなく

 Chikiさん曰く、


web上であろうとなかろうと、言説は自分の思うとおりにはいかない。思っていることを書けば伝わるわけではない。言語として発せられた瞬間、言葉は他者の手にゆだねられ、語り手を置いて他の言語へと接続していく。


web上の言論空間へはパーソナルな空間から個人的な営みとして形成・コミットされる。しかしそこは他者の言語で埋め尽くされる空間である。個人的な思いつきや内面的な吐露もすべてテクスト化され、「情報」として選択の対象となる。断念の上に洗練なき自らのつぶやきは、他者の言語と化してパーソナルな空間に侵入してくることになる。
「決して論争ではない騒動について(2)」
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20060121/p2

自らを戒めるためにも引用しておいた。
 そのChikiさんが「必読」としてお薦めしているのが*1


  「ふらっと -障害者- 安積遊歩さん」
   http://www.jinken.ne.jp/challenged/asaka/index.html


である。