『エレニの旅』/『新しい教養を求めて』

  6月1日。昨日の〈爽やかさ〉とは違い、空気が湿気を帯びていて重たい。
 1日は、映画館の入場料が\1,000均一になる日。
 テオ・アンゲロプロス監督の『エレニの旅』を観た。
 この映画も、アンゲロプロス監督の他の作品と同じように、灰色の空の下で物語が展開する。そして、多くのシーンには雨が降っている。その雨は〈熱帯的な雨〉ではなく、ときには雪に変わることもある〈冬の雨〉である。因みに、英語のタイトルは『泣く草地』、仏語のタイトルは『泣く大地』。
 物語は、1919年頃、露西亜オデッサからギリシア人の集団が難民として〈故国〉に帰還してくるところから始まる。その集団の長のスピロス。その息子のアレクシス。アレクシスに寄り添うエレニ。エレニはスピロスの娘ではなく、露西亜革命で混乱するオデッサで、「死んだ母にすがって泣いていた」(「シナリオ採録」、p.24)ところを拾われたのだ。この3人が主要な登場人物ということになる。彼らは、そこを開拓し、「ニュー・オデッサ」として定住する。やがて、成長すると、アレクシスとエレニは恋に落ち、エレニは双子の男の子を出産する。しかし、〈養父〉である筈のスピロスはエレニに横恋慕しており、妻が死ぬと、無理矢理にエレニと結婚式を挙げようとするが、式の最中にエレニは逃げだし、アレクシスと駆け落ちする。2人を拾ったのは、旅の楽師ニコス。アレクシスのアコーディオンの腕が認められたのだ。ここから舞台はテサロニキの街に移るが、恋に狂ったスピロスはエレニを求めて彷徨い、2人は〈父の影〉に怯えて暮らすことになる。その間に、アレクシスのアメリカ移民が決まり、また養子に出していた息子たちを引き取り一緒に暮らし始める。ある夜、スピロスは偶然2人と再会するが、その直後、ショックのため、2人の目の前で突如死んでしまう。父の葬儀のために、親子は「ニュー・オデッサ」に戻るが、葬儀の夜、突如豪雨が降り始め、「ニュー・オデッサ」は水没してしまう。ここまでが取り敢えず前半と言えるだろう。その後、アレクシスはアメリカへと旅立つ。アレクシスは妻子を呼び寄せるため、またアメリカ市民権を取得するため、アメリカ軍へ入隊する。エレニの方は、左翼であった楽師のニコスを匿った廉で逮捕され、刑務所に入れられる。やがて、釈放されるが、アレクシスが沖縄戦(慶良間島)で戦死したことを知らされ、またギリシア内戦で敵味方に分かれて戦った2人の息子も戦死したことを知る。最後は、水没した「ニュー・オデッサ」に戻り、辛うじて水上に残った自分の家の二階で、息子ヨルゴスの遺体に身を重ねつつ、号泣する。
 女性を巡る父と息子の葛藤。誰もが〈エディプス〉を想起するのではないだろうか。ただし、ここではその女性は〈母〉ではなく、寧ろ娘=妹なのだが。偶然の〈父殺し〉(エディプスと同様に故意ではない)。その後の「ニュー・オデッサ」水没に始まる運命の展開は、横死した父の報復であるとも解釈できる。〈父の影〉から逃れて、アメリカで暮らすという希望は費えた。それと同時に、(上の記述では殆ど取捨してしまったが)ギリシア現代史、さらに現代の世界史という文脈がある。露西亜革命、第1次世界大戦、オスマン帝国の崩壊とトルコ革命ファシズム、第2次世界大戦、ギリシア内戦等々。エレニは「時代に 嬲られ続けた」女性(楠見千鶴子「「エレニの旅」−−その歴史・風土・神話的背景」、p.17)でもあるのだ。このように、『エレニの旅』は二重の普遍性を持つ。父/息子の葛藤というのは(父系制社会である限り)、何時でも/何処でも起こりうることだし、それぞれの歴史的現場を生きた人々のあり得たかも知れない(或いは実際にあった)物語とに接続することが可能になるのだ。また、プエルトリコから移民し、アメリカ市民権を取得するために、入営し、イラクで戦死した男の物語という仕方で反復されているのかも知れない。
 たしかに悲しい物語。希望の欠片を見ることも許さないような。しかし、長尺のロング・ショットを多用したアンゲロプロスの映像は、安易な感情移入を許さない。そうではなく、ひたすら〈見る〉こと、〈眼差す〉ことを要求する。
 さて、〈水〉。まず、水は通路である。オデッサからギリシアへの、ギリシアからアメリカへの、アメリカから沖縄への。また、この映画の後半部では、〈水の過剰〉がエレニの生を妨げる。「ニュー・オデッサ」を水没させる水。また、(川の中州に横たわる)息子ヤニスの遺体へは川のために近づくことができない。その一方で、〈水の欠如〉。エレニは、刑務所の記憶に魘されて、「水がありません」と何度もうわごとを言う。水は生きるためには不可欠のもの。生を妨げる水は過剰にあるのに、生のための、渇きを癒す水は欠如するという逆説。また、結末近くで引用されるアレクシスの手紙−−「昨夜、夢で君と二人で河の始まりを探した。老人が案内をしてくれた。(.....)雪をいだく山頂のあたりで、老人が青々としたひそやかな草原をさし示した。茂る草の葉から水がしたたって、柔らかな地に注いでいて、ここが河の始まりと老人が言った。君が手を伸ばして葉に触れ、水滴がしたたった。地に降る涙のように」(p.34)。
 映像の美については特にいわない。何よりも実際に観ることに勝るものはないからだ。



 渡辺進也氏によるアンゲロプロスへのインタヴュー




 さて、6月1日は、筒井清忠『新しい教養を求めて』(中央公論新社、2000)を読了する。歴史社会学者である著者の「教養」・「修養」・「知識人」を巡るエッセイ、竹内洋梅原猛梅棹忠夫の各氏との対談、書評を集めたもの。軍事から映画や歌謡曲などの大衆文化にいたる著者の〈教養〉を堪能することができるだろう。
 エッセイの中では、廣松渉の思い出を綴った「廣松渉と私」が微笑ましく、面白い(「丸山眞男像のゆくえ」もそうしたノリだが)。
 しかし、著者の文化観に違和感を感じてしまうことも事実。何故なのだろうか。「教養」を軸に、アカデミズム文化が語られ、エンターテイメント指向の〈大衆文化〉が語られ、実利指向のビジネス文化が語られる。その隙間で無視されているのは、(とても緩くて曖昧な意味での)〈アヴァンギャルド文化〉だ。たんに先端的だというわけでもない、とにかくお行儀良くアカデミズムにも(堅気の市民の)教養にも収まらず、〈大衆〉に媚びを売るわけでもない、そのような文化。また、〈政治的指導〉にも素直に従わない。これが抜けているので、著者の文化についての語りは、現代じゃないぜという感じがしてしまう。当然、〈アヴァンギャルド文化〉を享受する人など、数量的にはどの時代、どの社会でも、他のカテゴリーの文化と比べて、マイノリティだったに違いない(とはいっても、ちゃんとしたデータを持っているわけではない。全くの臆見である)。しかしながら、それを抜かすと、時代がカフェイン抜きの珈琲みたいになってしまうということ。今回、そんなことに気付いたのは、やはり本書を読んだおかげといえるだろうか。


 また、幾つか抜き書き。



日本の軍国主義化の一番の根源にあったのは下克上なのである。「主体性」をもった人間がいすぎて「大日本帝国」は崩壊していったのである(p.29)。
 「下克上」の根源は、「軍人たちの激しい競争主義」である。その起源は、大正時代の「軍縮」に遡らなければならない。軍人定員の大幅な削減というリストラと昇進や昇級の大幅な遅れ(pp.29-30)。

ヨーロッパと違って日本の将校には相対的に中・下層階級の出身者が多かったため、元々強い昇進願望が抱かれているところに、いっそう厳しいリストラの嵐が吹いたのだった。昇進のための競争は大義名分があれば暴発しかねないものになっていたといってもよい。(中略)むしろ自分らの存在を否定する社会へのルサンチマンの感情へとそれは転化していたといった方がよいのかもしれない(p.30)。


 梅原猛によれば、

         「修養」は「善の教育」
         「教養」は「真と美」(p.175)

と物凄く明解。


 VII「教養の誘惑」で取り上げられた書物の中に、

 大杉一雄『日中十五年戦争史』
 渡邊行男『重光葵

という中公新書からのものがあって、早速近くの本屋で見回したけど、中公新書のコーナーに何れも影も形もなし。1996年刊行の本だが、10年前の本が本屋にないというのは、仕方がないといえるか。
 また、アンゲロプロス絡みで、ギリシア現代史を新書レヴェルの本で復習してみようと思ったが、見当たらず。〈古代ギリシア〉物なら沢山出ているのにね。