趙京華談日本知識左翼

 陳怡「趙京華談当下日本左翼批判圏 “他men代表日本的良心”」『東方早報』2006年10月31日


中国社会科学院文学研究所の趙京華氏が現代日本の「知識左翼」について語る――「当代日本人也不是完全鉄板一塊、也有一批公共知識分子走出学院、批判自由主義史観、右翼思想和保守政治、我称這些人為“知識左翼”」。「知識左翼」というのは趙氏の造語であるらしいが、趙氏が日本の「知識左翼」の代表として挙げているのは、


 柄谷行人
 小森陽一
 子安宣邦
 高橋哲哉


の各氏である。曰く、


在1990年代後的全球化背景下、日本的“新生代知識左翼群体”和其他地区相比、是比較活躍的。他men的文化政治和社会批判実践所倚重的思想精神資源已経不再是単純的馬克思主義批判理論或存在主義的主体論、以及反戦、和平的世界主義想象。(略)在任何思想和知識都可能成為消費符号而無法沈淀到深層並聚集起抵抗力量的大衆消費時代、他men必須面対思想話語不断被瓦解、不断被時尚征服的危険、他men需要源自後現代主義語言解構、話語分析、他者理論、差異政治学和後殖民批評等思想資源、当然也包括作為20世紀最大的社会批判理論之馬克思主義的支持。這様、他men在実際的学術研究和政治介入中也就形成了與上一代自由主義左派、以及伝統馬克思主義左翼大不相同的精神風貌和性格特徴。他men的存在譲我men感到日本這個国家還有勇於承担公共知識分子職責的人士在。

cricketとcricket

 YAO Minji “Cricket culture—fighting, poetry, calligraphy” Shanghai Daily 31 October 2006 


という記事を読んでいて、cricketという言葉はこほろぎ(蟋蟀)を意味するんだと久々に思い出したのだが、蟋蟀を意味するcricketは仏蘭西語の動詞criquerに由来し、英語でいえばcreakに対応するこの動詞はぎいぎいと音を立てることを意味する。ところで、英国人が誇るあの野球にも似た*1球技も同じ綴りである。ぎいぎいと音を立てる秋の虫とあの球技との関係は如何に?
上の記事によると、中国の蟋蟀の歴史は3つの時期に分けられ、先ず唐朝以前においてはただ野生の蟋蟀の声を聴いていただけであり、唐朝において蟋蟀を籠に囲うということが始まった。さらに、宋朝において、蟋蟀を闘わせることが始まったという。そして、辛亥革命以後、cricket fightingは民国政府によって公式に禁止されたという。とすると、それが復活したのはいつ頃か。

*1:昔、ある英国(イングランド)人の知り合いに、野球は途中ティー・ブレイクがないという一点において、より下等なスポーツであると言われたことがある。

、『死と死別の社会学』@シュッツ・パーソンズ研究会

中村文哉さんからのお知らせ(元は社会科学基礎論研究会ML);


下記のとおり、研究会を開催致します。

今回は、著者をお招きしての合評会になります。
お招きするのは、『死と死別の社会学』(青弓社・2005)の
著者であられる澤井敦さん(慶応大)です。

せっかくの機会ですので、ご関心のある方は、
ぜひご参加ください。

            記

開催日時 2006年11月11日(土) 13時から18時まで

開催場所  慶應義塾大学 三田キャンパス

        研究室棟 地下1階 第3会議室

テーマ  澤井敦著 『死と死別の社会学』 合評会
        ――澤井敦さんをお迎えして――

司会者  浜日出夫氏(慶應義塾大学)

コメンテーター 大谷栄一氏(南山大学)
          鈴木健之氏(盛岡大学)

リプライ     澤井敦氏(慶應義塾大学)


※研究会終了後、懇親会を予定しております。

『牛津中階英漢双解詞典』

『牛津中階英漢双解詞典 第3版(Oxford Intermediate Learner's English-Chinese Dictionary 3rd Edition)』(商務印書館、牛津大学出版社。簡体字版)を買う。

Oxford Intermediate Learner's English-Chinese Dictionary

Oxford Intermediate Learner's English-Chinese Dictionary

本当は、Chinese-Englishの辞書を買いたかったのだけれど、何故か間違ってEnglish-Chineseを買ってしまった。しかし、辞書を買うのは常に愉しいことだ。この辞書の場合、世界地図は地名の漢字表記と英語表記が対になっていて、調べ物には便利か。
辞書といえば、私がいつも仏文を読むときに主に参照しているのは、Larousse's French-English English-French Dictionary: Dictionnaire Larousse Francais-Anglais, Anglais-Francais
Larousse French English Dictionary

Larousse French English Dictionary

だけれど、これはもう20年近く使っているもので、表紙はぼろぼろで、煙草の脂にまみれ、古本特有の香ばしさを発散させている。既に買い換え時期はとっくの昔に過ぎている。

「勉強しないと」……

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/841610.html


1 名前:なべ式φ ★ 投稿日:2006/11/01(水) 09:54:27 ID:???0
中間選挙の投票日を一週間後に控えた米国で31日、2004年の大統領候補だったケリー上院議員(民主)のイラク派兵に関する一言が波紋を広げた。劣勢に立たされている共和党はここぞとばかりに「民主党有力者の失言」に集中砲火を浴びせている。

ケリー氏は30日、カリフォルニア州で学生を前に演説した際、「一生懸命に勉強しないとイラクで精を出すことになる」と発言した。同氏は31日になって「舌足らずの冗談だったが、ブッシュ大統領やその取り巻きのことを指したものであって、兵士たちのことではない」と弁明した。 
http://news.www.infoseek.co.jp/world/story/061101jijiX833/

だそうだ。
ただ、その演説を聴いた大学生にとっては、反発とか賛成とかいう以前にぴんと来なかったのではないかとも思う。http://diary.jp.aol.com/mywny3frv/322.htmlで言及されているようなエリアの人々とはリアリティは全然違うのではないだろうか。『リトルバーズ〜イラク 戦火の家族たち』というイラクについてのドキュメンタリー映画について語りながら、山口智美さんは「いかにも高い教育を受けたというイギリス英語」で叫びながら米軍の前に立ちはだかる「アラブ系」の女性の映像に注目し、「高い教育をイギリスで受けられたおそらくエリートであろう女性が、末端の、アメリカでおそらく貧困にあえいでいて、軍隊にはいらないと高等教育も受けられない状況にあるだろう兵士たちにむけてこの言葉を叫ぶことにも、この女性は「正しい」ことを言っていて、行動にも移していてすごい人であることはわかるのだが、やりきれないものも感じた」という。そして、このギャップの「背景」について;

背景は、荒れ果てたシカゴ市のサウスサイドであるとか、ほとんど店がつぶれてなくなっている元商店街の中にぽつんぽつんとある、檻で囲まれまくっている商店(ほとんど酒屋)とか、意味もなくふらふらしている人たちの多さとか、デトロイトの廃墟ビルや放火されて焼けこげ状態の家が何年も放置されている状況とか、セントルイスの窓の破れた廃墟ビルが並ぶ様子とか、ミシシッピの地域全体が壮絶に貧しい状況とか、そういうところから見えてくるのではないだろうか。macskaさんの言及しているバッファローも、私も数年前に行ったが、ダウンタウンの荒廃ぶりはかなりすごかった。

だが、こういう「荒れたアメリカ」の映像って日本にはほとんど流れてないような気がする。思いつくのは、マイケル・ムーアの『Roger and Me』や『華氏911』でうつる、ミシガン州フリントくらいか。エミネムの『8 Mile』もデトロイトの様子が描かれていたが、ハリウッド映画系は普通、危ない場所で撮影なんかしないしな。去年のニューオリンズの様子はどのくらい日本のニュースでうつったのだろう。もし、私が住むシカゴ南部で、ああいう自然災害が起きたら、ニューオリンズとまったく同じような状況に陥るだろうと思う。それほどに、貧困問題は深刻だ。私が住むところからほんの数ブロック離れたところは、アメリカでも有数の貧困地域だ。

貧困地域の高校などを狙いうって、ミリタリーのリクルートは行われる。ミリタリーにはいれば、いい服も着られて、大学にも行かせてもらえるかもしれず、尊敬もされるし、、といいことばかり言って。仕事もなく、いつ銃弾がとんできて殺されるかもしれない日々の生活からしたら、戦争に行くのもあまり変わらないのかもしれない。『華氏911』でミシガン州フリントの人たちが、イラクも自分たちが住むフリントもあまり変わらない、といってたのは、当時ミシガンに住んでいた私には、確かにそうかもしれないと思えるものがあった。

こういうアメリカの負の姿、もっと伝えて行ってほしいと思う。でも日本の特派員さんたちや、テレビ会社の人たちは、たいてい東海岸か西海岸の裕福地帯にしかいないからなあ。。

ところで、40年前の米国の大学生だったら、またリアリティは違っていた筈だ。成績次第では即座にヴェトナム行きという可能性が常につきまとっていたからだ。
でも、ケリー発言というのは、『女王の教室』とか『ドラゴン桜』といった日本の教育系ドラマのメッセージとも共通しているのではないかとも思う。この2つのドラマからは、格差社会というか特権社会を告発しつつ、その上で、それを社会変革ではなくて(自己責任的な)個人的な努力によって〈勝ち組〉となることでサヴァイヴァルしていこうというメッセージを読み取ることができる。勿論、「一生懸命に勉強しないと」云々といわれても、意欲以前に「勉強」が物理的に困難だとか、〈自己責任〉で何とかならないという現実があり、『ドラゴン桜』ではそのような側面も描き込まれてはいたが、最終的には、「個人的な努力によって〈勝ち組〉となること」に収斂していっているような気がする。ケリー発言については、具体的な文脈がよくわからないので、これ以上言えない。