「勉強しないと」……

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/841610.html


1 名前:なべ式φ ★ 投稿日:2006/11/01(水) 09:54:27 ID:???0
中間選挙の投票日を一週間後に控えた米国で31日、2004年の大統領候補だったケリー上院議員(民主)のイラク派兵に関する一言が波紋を広げた。劣勢に立たされている共和党はここぞとばかりに「民主党有力者の失言」に集中砲火を浴びせている。

ケリー氏は30日、カリフォルニア州で学生を前に演説した際、「一生懸命に勉強しないとイラクで精を出すことになる」と発言した。同氏は31日になって「舌足らずの冗談だったが、ブッシュ大統領やその取り巻きのことを指したものであって、兵士たちのことではない」と弁明した。 
http://news.www.infoseek.co.jp/world/story/061101jijiX833/

だそうだ。
ただ、その演説を聴いた大学生にとっては、反発とか賛成とかいう以前にぴんと来なかったのではないかとも思う。http://diary.jp.aol.com/mywny3frv/322.htmlで言及されているようなエリアの人々とはリアリティは全然違うのではないだろうか。『リトルバーズ〜イラク 戦火の家族たち』というイラクについてのドキュメンタリー映画について語りながら、山口智美さんは「いかにも高い教育を受けたというイギリス英語」で叫びながら米軍の前に立ちはだかる「アラブ系」の女性の映像に注目し、「高い教育をイギリスで受けられたおそらくエリートであろう女性が、末端の、アメリカでおそらく貧困にあえいでいて、軍隊にはいらないと高等教育も受けられない状況にあるだろう兵士たちにむけてこの言葉を叫ぶことにも、この女性は「正しい」ことを言っていて、行動にも移していてすごい人であることはわかるのだが、やりきれないものも感じた」という。そして、このギャップの「背景」について;

背景は、荒れ果てたシカゴ市のサウスサイドであるとか、ほとんど店がつぶれてなくなっている元商店街の中にぽつんぽつんとある、檻で囲まれまくっている商店(ほとんど酒屋)とか、意味もなくふらふらしている人たちの多さとか、デトロイトの廃墟ビルや放火されて焼けこげ状態の家が何年も放置されている状況とか、セントルイスの窓の破れた廃墟ビルが並ぶ様子とか、ミシシッピの地域全体が壮絶に貧しい状況とか、そういうところから見えてくるのではないだろうか。macskaさんの言及しているバッファローも、私も数年前に行ったが、ダウンタウンの荒廃ぶりはかなりすごかった。

だが、こういう「荒れたアメリカ」の映像って日本にはほとんど流れてないような気がする。思いつくのは、マイケル・ムーアの『Roger and Me』や『華氏911』でうつる、ミシガン州フリントくらいか。エミネムの『8 Mile』もデトロイトの様子が描かれていたが、ハリウッド映画系は普通、危ない場所で撮影なんかしないしな。去年のニューオリンズの様子はどのくらい日本のニュースでうつったのだろう。もし、私が住むシカゴ南部で、ああいう自然災害が起きたら、ニューオリンズとまったく同じような状況に陥るだろうと思う。それほどに、貧困問題は深刻だ。私が住むところからほんの数ブロック離れたところは、アメリカでも有数の貧困地域だ。

貧困地域の高校などを狙いうって、ミリタリーのリクルートは行われる。ミリタリーにはいれば、いい服も着られて、大学にも行かせてもらえるかもしれず、尊敬もされるし、、といいことばかり言って。仕事もなく、いつ銃弾がとんできて殺されるかもしれない日々の生活からしたら、戦争に行くのもあまり変わらないのかもしれない。『華氏911』でミシガン州フリントの人たちが、イラクも自分たちが住むフリントもあまり変わらない、といってたのは、当時ミシガンに住んでいた私には、確かにそうかもしれないと思えるものがあった。

こういうアメリカの負の姿、もっと伝えて行ってほしいと思う。でも日本の特派員さんたちや、テレビ会社の人たちは、たいてい東海岸か西海岸の裕福地帯にしかいないからなあ。。

ところで、40年前の米国の大学生だったら、またリアリティは違っていた筈だ。成績次第では即座にヴェトナム行きという可能性が常につきまとっていたからだ。
でも、ケリー発言というのは、『女王の教室』とか『ドラゴン桜』といった日本の教育系ドラマのメッセージとも共通しているのではないかとも思う。この2つのドラマからは、格差社会というか特権社会を告発しつつ、その上で、それを社会変革ではなくて(自己責任的な)個人的な努力によって〈勝ち組〉となることでサヴァイヴァルしていこうというメッセージを読み取ることができる。勿論、「一生懸命に勉強しないと」云々といわれても、意欲以前に「勉強」が物理的に困難だとか、〈自己責任〉で何とかならないという現実があり、『ドラゴン桜』ではそのような側面も描き込まれてはいたが、最終的には、「個人的な努力によって〈勝ち組〉となること」に収斂していっているような気がする。ケリー発言については、具体的な文脈がよくわからないので、これ以上言えない。