フッサールの場合

鈴木崇志『フッサール入門』*1
フッサールの「超越論的(transzendental)」の用法。


フッサールも、基本的にはカントの言葉づかいを踏襲している。すなわちフッサールにおいても「超越的/超越論的」という語は、やはり何らかの意味で経験を超える動向を表すために用いられるのである。
ただしカントとフッサールのあいだには重大な違いもある。(略)フッサールによれば、自然的態度において経験の外側にあると思われていた世界は、エポケーと還元を経て経験の絶対的な内側へと引き戻される。したがってフッサールにおいては、自然的態度における経験(自然的経験)と、エポケーと還元を経たあとの経験が区別されるのである。このように経験に関する二通りの見方が区別されることに伴って、「超越的/超越論的」という語は新たな含蓄をもつことになる。
まずフッサールによれば、「超越的」という語は、世界が自然的経験を超えているということを表している。自然的経験において経験されている個々のものごと、ひいては世界全体は、経験に依存せずに経験の外側にあると思い込まれている。そのようにしぜんてきたいどにおいてそうていされるけいけんのそとがわが、「超越的」と形容されるのである。
しかし(略)フッサールは、そのように世界が自然的経験にとって超越的であるという信念を説明するために、いったん世界の存在についての判断を停止して、世界を経験の内側へと引き戻そうとする。ただし強調すべきは、そのような判断停止(エポケー)と引き戻し(還元)が、自然的態度を否定するための操作ではなく、むしろ自然的経験の仕組みを解明するための操作であるということだ。
フッサールはカントと同様に、経験の仕組み(経験の可能性の条件)を論じる自らの哲学のことを「超越論的」と形容する。ただしその際に解明されるべき経験の仕組みとは(略)自然的経験の仕組みである。つまり、フッサールによれば、「超越論的」という語は、自然的経験を超えて、それを可能にして仕組み(自然的経験の可能性の条件)を論じるということを表しているのである。(pp.79-80)