前田→品川→須藤

種村季弘『江戸東京《奇想》徘徊記』*1第14章「根津権現裏と谷中」に曰く、


鷗外記念本郷図書館前の団子坂を横断してさらに北へ、千駄木の住宅街を行くと、樹々を透かして谷底に水鳥が浮かんでいる池が見える。これが須藤公園*2。元は品川弥二郎(維新の功臣)邸だったという。ここはいつきても人気がない。都心ではめずらしく閑雅な気分を味わえる公園で、以前よく二日酔いさましにここのベンチで小半日転がっていたものだ。(p.138)
品川弥二郎邸の前は加賀・大聖寺藩邸。その後、須藤吉左衛門という人が品川家から買収し、さらに昭和になって、須藤家は東京市に公園用地として寄付した。
まだ「須藤公園」という名も知らない頃、千駄木の島薗邸*3の脇の細い道を歩いて行くと、斜面の階段道が現れ、やがてそれが庭園の絶景の一部だということに気づいた。それが「須藤公園」との最初の出会いである。そのときのめくるめく感じは今も忘れていない。
さて、「カッパ」がいることは知らなかった;


oto「駅から徒歩2分の元大名庭園!カッパの目撃情報もある「須藤公園」って一体…どんなところ?」https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/0072a19e80a42a1e481f632d439cb0d0ec56b68b