種村季弘『江戸東京《奇想》徘徊記』*1第14章「根津権現裏と谷中」。
根津神社(根津権現)*2と団子坂*3を結ぶ細い道。
2021年4月に「観潮楼」の裏手から根津権現まで歩いた*4。これが現在の「薮下通り」ということになるか(文京区千駄木2丁目)。
もともとここらは千駄木の台地からがくんと谷間に崖が落ちこんでいる地形である。永井荷風の『日和下駄』の「崖」の章に出てくる道がここにある。現在は日本医科大病院の横を通るこの道は、西側が崖地の藪だらけだったので「薮下通り」とも称された。
「根津権現の方から団子坂の上へと通ずる一篠の道がある。私は東京中の往来の中で、この道ほど興味ある処はないと思っている。片側は樹と藪に蔽われて昼なお暗く、片側はわが歩む途さえ崩れ落ちはせぬかと危まれるばかり、足下を覗くと崖の中腹に生えた樹木の梢を通して谷底のような低い処にある人家の屋根が小さく見える。」(『日和下駄』)
この道を通って歌風は森鴎外の観潮楼を訪ねるのである。曰く、「当代の碩学森鴎外先生の居邸はこの道のほとり、団子坂の頂に出ようとする処にある。」
団子坂は汐見坂ともいった。それを漢語にあらためて観潮楼。(略)
観潮楼に鷗外を訪れた荷風は、八畳六畳の書斎兼客室でしばらく待たされる。六枚屏風が立てめぐらされ、覗くと大量の洋書が積まれている。この時代のことである。並の人間なら、大量の洋書があればれいれいしく見せびらかすところだが、鷗外ともなると逆に屏風で見えないように隠している。荷風はその奥ゆかしさに参ってしまう。
そこへ鷗外が「ヤア大変お待たせした。失敬失敬」と云いながら入ってくる。金巾の白い襯衣一枚、その下には赤い筋の入った軍服のズボン。「何の事はない。鷗外先生は日曜貸間かでごろごろしている兵隊さんのように見えた。」(pp.137-138)
なお、「観潮楼」跡はこの本の初版が出た2003年頃はまだ「鷗外記念本郷図書館」だったが(p.138)、その後「本郷図書館」は更地になり*5になり、現在は「文京区立森鴎外記念館」になっている*6。
*1:Mentuoned in https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2024/07/14/085552
*2:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20150505/1430783056 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20160821/1471789887 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20160822/1471834022 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20160824/1472007786 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/04/06/104205 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/04/07/102055 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2023/10/05/151131 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2024/06/07/021330
*3:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20160826/1472178848 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20170516/1494943973 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20170602/1496329662 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/04/16/092037
*4:See https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/04/26/103229
*5:See https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20141101/1414813511
*6:See eg. https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/04/11/081055