「言葉とセックス」

花房観音「背徳感溢れる物語」『波』(新潮社)649、pp.122-123、2024


宇能鴻一郎*1アルマジロの手』について。


本書は『姫君を喰う話』に続く、宇能鴻一郎の初期短編集だが、いわゆる性行為を描いた「あたし~しちゃったんです」という女性の独白スタイルの「官能小説」ではない。しかし、直接の性行為に重点を置いてあるわけでもないのに、じゅうぶんに官能的だ。
「月と鮟鱇男」の中で、主人公は宴席の残肴を食べてしまう動機をこう語る。
「せめて自分の体におさめて、血とし、肉として同化し、愛しんでやろうと思う。血や肉にはならぬまでも、自分の歯で噛みくだき、舌でこねまわし、唾液と混ぜ、胃で揉み、醗酵させ、腸で水分を吸収し、数日体内において排泄してやるだけでも、自分とその食べもののあいだに交わされる親しみは、申し分なく強烈なものになるのに、と感ずるのである」
性描写の巧い作者は、食の描写も巧いと言われることがあるが、口と舌、そこから内臓を経て排泄に至るまでのこのくだりは、想像力豊かな男なら勃起し、女は濡れるぐらい言葉の羅列がエロティックだ。
この本の中では、表題作のアルマジロをはじめ、鮟鱇、鰻、海亀の産卵等、動物、魚、植物、そして何より食べ物をメタファーにして、「官能」が描かれている。
それらはすべて濃厚で、味と香りが漂い、五感を刺激する。本を手にとってページをめくるだけで、全身の毛穴から毒混りの蜜が体内に入り込み血液と混じり、支配されてしまうような感覚がある。しかも表現と構成も巧みで知的だ。これほど官能を文学として探求した作家はいない。自分の身体が、他人の言葉に陥落してしまうさまは、まさに極上の快楽をもたらすセックスのようだ。
読み終わっても、まだ身体に宇能鴻一郎の言葉が残り、何度も蘇ってぞわぞわと肌を刺激し続ける。脳からどろりと、ぬるく白い液体がしたたってくる。
本書を読むと、やはり宇能鴻一郎という作家は「官能」をずっと描き続けてきた人なのだと誰もが理解するだろう。(pp.122-123)

「官能とは何だと思う?」
著名な文筆家に酒席で問われたことがある。
とっさに私が、「背徳」と答えたら、彼は「その通りだよ」と言って、にこりと笑った。
辞書を調べれば様々な意味が出てくるけれど、私にとっての官能は「背徳」だ。うしろめたい、けれど惹かれずにはいられない、それなしには生きていけないもの、秘めごと。
セックスは、ほとんどの人間がしていることなのに、世の中で隠すべきものとされ、まるで無いことのようにされている。さらに、この短編集に描かれている人間の欲望は、当たり前の男女の営みを凌駕し社会を逸脱した背徳的なものばかりだ。
人の五感を捕えて離さない官能的な言葉で綴られた宇能鴻一郎の背徳感溢れる物語を手に取って読んで欲しい。
言葉とセックスして、絶頂に達して放心しながら、ページをめくり続けると、ぱっくりと割れた唇という裂け目から、声が漏れずにいられない。(p.123)
新潮文庫のこの本、まだ買っていないのだけれど、花房さんがここまでいうのなら、やはり読まなければいけないだろう、と思ってしまう。