「藝能人」*1というのは昭和生まれの言葉。
曰く、
藝能人という言葉はむかしはなかった。日中戦争が泥沼化していた一九四〇年、枢密院議長だった近衛文麿*2が提唱した新体制運動に呼応して、あらゆる藝人を結集し、藝能報国に尽くすため結成された藝能文化聯盟が言い出して普及させた言葉だ。
それまで口語文脈で用いられていた「藝人」は、公式文語文脈では「技藝者」とされ、警視庁の下す鑑札も「技藝者之證」と記されていたのだが、藝能文化聯盟発足いらい口・文ともに藝能人という呼称が定着するようになる。
この藝能人なる呼称は、体制や社会から疎外された気味のあった藝人に、持てる藝を武器に国家の役に立つという誇りを与える意味合いもあった。藝能報国のスローガンのもと、数数の愛国浪曲、愛国講談が創作され、藝能人と称する浪花節語りや講釈師が口演につとめた。
ただ、藝人が藝能人と呼ばれるようになって、それまであった藝人に対する差別意識が多少ともやわらいだのは、悪いことではなかった。だが、そのことによって、藝人なればこそ許容されてきた、無頼で奔放不羈な生き方に変わって、一般市民としての健全な暮らし方が要求されるようになったのは否めない。